11月5日(日)10時30分より
メッセージ:「目を覚ましていなさい」
聖書:マルコによる福音書13章14-37節
説教者:小野慈美牧師
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世の終わりが近い?
今パレスチナで起こっている悲惨な出来事は、終末が近いしるしだというキリスト者もいます。確かに事態は深刻ですが、「世の終わりが近い!」と不安をあおることは正しくない。
「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら―読者は悟れ―、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい(14)。イエス様がこのことを語られたのは、紀元30年頃です。それから約40年後の紀元70年に、ローマ(憎むべき破壊者)によって包囲され、多くの者が餓死し、エルサレムは陥落しました。エルサレムの人々にとっては、まさに世の終わりのような出来事でした。エルサレムから出て山に逃げた人たちは助かったのです。マルコ福音書は紀元70年頃書かれたと考えられますから、マルコは実際に起こった事実を踏まえて、主イエスの言葉を書きとどめたのかもしれません。主イエスの預言は、マルコ福音書の読者にとっては、既に起こった出来事、あるいは起こりつつあった出来事であったと言えるでしょう。
主イエスの再臨
苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる(24,25)
やがて、この世界から光が失われ、あたかも、闇が支配しているかのようなときが訪れる。そのときです。人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る(26)。「人の子」とは、イエス様がご自身を指して使われた言葉です。「雲」は、聖書では、神の臨在(presence)の象徴であって、物理的な意味ではありません。再び主イエスが来られるという約束を「再臨」と言います。初代教会の人々は、再臨が近いと考えていました。しかし、主イエスは、それがいつ来るかは誰にもわからないのだと戒められました(32)。
目を覚ましていなさい
「天地は滅びる」(31)とは、地球が破滅するということでしょうか?確かに環境破壊や核戦争のことを考えると、これはきわめて現実味を帯びてきています。しかし、本質的な意味は、こういうことです。この世界のものは必ず滅びる。だから、滅びていくものに、自分の存在を掛けるようなことをしてはならない。「わたしの言葉は決して滅びない」という主イエスの御言葉に信頼しなさい。くるくる変わる人間の言葉や、様々な出来事に惑わされ、神の言葉に聞くことが鈍くなってしまわないよう「目を覚ましていなさい」(32,35,37)。困難の中にあっても、主イエスのことばに信頼し、御言葉が、心に響いているようにしなさい。
再臨を待つ態度
「主の日」には、主が歴史に直接介入なさって、新しい世界を創られる。これは、破滅のときではなく、むしろ、救いの完成する時、神さまの御支配が貫徹する時、喜びの時なのです。長女が幼い頃、私が玄関をあけて帰宅する気配を感じたとき、よく口にした言葉。「あ、オトーシャン(お父さん)だ、オトーシャンが帰ってきた!」。
私たちもそのような態度で主の再臨を待つのです。主イエスは、最後のときに、弟子たちに言われました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネ14:27)。
今、私たちを支配しているのは、心騒がせる不安であり、おびえです。だからこそ、忘れてはなりません。この世界を支配しているのは、わけのわからない力なのではなく、主イエス・キリストにおいて、ご自身を現してくださった愛と真実の神です。その神があらゆるものを越えて支配しておられることを信頼しましょう。ですから、私たちの為すべきことは、シンプルです。今できることを喜んでする。ルターの言葉と言われている言葉を紹介します。「たとい明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える」。
前 奏 - 愛する神にのみ - J.S.Bach
招 詞 詩編27編4節(下記)
賛 美 讃美歌21-225 すべてのものらよ
主の祈り (「讃美歌21」 93-5-B 日本キリスト教協議会統一訳)
賛 美 - 愛する神にのみ - 聖歌隊
聖 書 マルコによる福音書13章14-37節 (新約p.89)
祈 祷
黙 想
説 教 「目を覚ましていなさい」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-454 愛する神にのみ(1,2,3,7)
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 (「教会の約束」を唱和 )
賛 美 2023年主題賛美歌「常に主を覚えて」
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り
主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。 (詩27:4)
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