11月26日(日)10時30分より
メッセージ:「まさか私では」
聖書:マルコによる福音書14章10-21節
説教者:小野慈美牧師
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<ユダの裏切り>
「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」(18)。ユダの裏切りの理由を考えてみましょう。ユダは、イエスこそ、ローマからユダヤ人を解放してくれるメシアだと大きな期待を抱いた。ところが、イエスが一向に期待に応えるようなことをしてくれない。期待が大きかっただけに、失望も大きかった。ユダこそ、イエスに裏切られたと感じたのではないか。そして、その失望が怒りに変わり、イエスを敵の手に売り渡すという行動に出たのでしょう。単に、お金がほしかったからではない。マタイ27章を読むと、ユダが裏切りの見返りとして受け取ったお金は銀貨30枚でした。これは当時の奴隷一人の値段で、それほど大きな額ではありませんでした。しかも、彼はその後、裏切りを悔やんで、そのお金を神殿に投げ込んで首をつって死んだと書かれています。
<11人の裏切り>
弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた(19)。この言葉を口にした弟子たちは、自分はそんなことをするはずはないと思っている一方で、もしかしたら自分なのだろうかという不安をいだいています。つまり、弟子たちは皆、心のどこかにうしろめたいもの、あるいは自分のたよりなさを感じていたのかもしれません。この後、イエス様と弟子たちは、ゲッセマネの園で祈りをしていました。そこに、ユダの手引きによって、ユダヤ人の指導者たちが来て、イエス様をとらえました。そのとき「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マルコ14:50)のです。11人の弟子たちも、本質的には、ユダと同じでした。
「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(21)。21節は、ユダが始めから裏切る役割を演ずるために生まれてきたかのようにも理解できます。しかし、これは呪いの言葉ではなく、憐れみの言葉です。「生まれなかった方が、その者のためによかった」とは、十字架の赦しを知らずに、自分に絶望して、自ら首をくくって死ぬようなユダの最後を憐れんで言われた言葉だと思うのです。主イエスの十字架はユダのためでもありました。しかし、ユダはそのことを知る前に自らの命を断つことになる。そのことを痛む主イエスの思いが示されているのです。
<罪の赦し>
バッハの「マタイ受難曲」の中に、この場面を歌った曲があります。
「主よ、まさか私ではないでしょう」という言葉が折り重なるようにして11回くり返されます。ユダ以外の弟子たちが次々にこの問いを発したことを示しています。そして、その後で、会衆が歌うコラールに、作曲者バッハの信仰の告白が記されています。「それは私です。私こそが罪を負うべきなのです」
わたしたちは、まさか私ではないでしょう、自分はユダなんかとは違いますと言いたい。イエスさまを裏切ることなんかしないと言いたい。しかし、自分の現実を深く探られるならば、「それは私です」と言わざるを得ない。しかし、その告白をもって主イエスの前に出るとき、「父よ、彼らを赦し給え」という十字架の言葉を聞くのです。
人は取り返しのつかないことをしてしまったとき、その苦しみ、罪悪感から解放されるために、いっそ死んだほうがましだ。と思うことがあります。そのようなユダ、そして私たちに主イエスは言われます。「自分は生まれてこなかった方がよかったと、自分に絶望するな。そのような思いに身をまかせるな。私の十字架のゆえに、あなたには絶望はない。なぜなら、どんなことがあっても、私は決してあなたを捨てないからだ」。
前 奏 - キリストこそわが生命 - J. S. バッハ
招 詞 エフェソの信徒への手紙3章16-17節(下記)
賛 美 讃美歌21-454 愛する神にのみ (1,4,5,7)
主の祈り
賛 美 愛する神にのみ 聖歌隊
聖 書 マルコによる福音書14章10-21節 (新約p.91)
祈 祷
黙 想
説 教 「まさか私では」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-445 ゆるしてください
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-28 みさかえあれや
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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16どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、17信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。(エフェソ3:16,17)
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