4月21日(日)10時30分より
メッセージ:「不適切な系図?」
聖書:マタイによる福音書1章1-17節
説教者:浅輪一郎伝道師
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“不適切”と扱われていたり、“不適切”としか思えないような人々が連なる「イエス様の系図」を三つのキーワードに注目をしながら振り返ります。
第一のキーワード:女性
今の時代では、まさに“不適切にもほどがあること”なのですが、当時、ユダヤの系図に女性の名前が記されることはありませんでした。女性は法律上の権限を持っておらず、父親か夫の所有物として扱われていたと言われていますから、そのように扱われていた女性を系図に載せること自体が当時の慣習では“不適切”ということでありました。そのような女性をいくら系図に組み込んでみても、「自分や一族が信頼できる人間である」という証明にはなりませんでした。しかし、マタイによる福音書におけるイエス様の系図には、しっかりとそのように扱われていた女性たちが記録されています。
タマル:マタイ1章3節、創世記38章に記されています。タマルとユダは夫婦ではないどころか、あまりにも“不適切すぎる関係”から子どもたちをもうけます
ラハブとルツ: 5,6節。この二人は“女性”というばかりではなく、明らかにイスラエル民族にとっては “異邦人” であります。異邦人も女性と同様、ユダヤの系図に名前が記されることはありませんでした。先ほど、ユダヤの系図には女性の名前が記されることはなかったと申し上げましたが、異邦人ならばなおさらのことでありました。
ウリヤの妻(バト・シェバ): 6節。バト・シェバの夫=ウリヤはダビデの策略によって戦争で殺されてしまいます。そしてダビデに求愛され、やがてソロモンの母となるのですが、イエス様の系図においては、あえて彼女のことを、 “ウリヤの妻”と記すことによって、この系図を読む人々に“ダビデが犯した罪”についても思い起こさせます。
第二のキーワード:兄弟たち
「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを」(2節)とあります。
アブラハムにはイサクの他にもう一人の息子がいました。そしてイサクにもヤコブの他にもう一人の息子がいました。にも関わらず、ここでは兄弟のことはおくびにも出されていません。一方で、ヤコブについてはわざわざ兄弟たちのことにまで触れています。このことによって、ここでは、直系のユダも含めてイスラエルの十二部族が等しく関わっているということが示されていると考えられます。
「ヨシヤはバビロンへ移住させられた頃、エコンヤとその兄弟たちをもうけた」(11節)ともあります。
ヨシヤ王の子孫は4人、その後王位に就きました。しかし、バビロン捕囚という民族滅亡の危機に直面し、結局は全員が不幸な末路をたどることになります。しかし、この“兄弟たち”と付け加えることによって、人の目によると不幸な末路をたどったとしか思えないその全ての王が、やはり等しくイエス様の誕生に関わっているということが示されることとなります。
第三のキーワード:アハズとマナセ
9,10節ではアハズとマナセが登場します。アハズとは、南ユダ王国の王であった人物です。彼は隣国からの脅威に晒されると、アッシリアに援助を求めて、政治的にも宗教的にも自国に大混乱をもたらした王として受け止められています。結果、国民から尊敬を得ることは出来ず、死後は「王の墓にさえ葬られることはなかった」(代下28,27)と言われています。
アハズの孫となるマナセも自身の治世の際には混乱をもたらし、ある意味、アハズ以上に混乱をもたした王でありました。旧約聖書を読んでいますと、よく「主の目に悪を行った」(王下21,16他)という表現が出て来ますが、この表現は、「アハズとマナセにおいてよく用いられている」と思われている方も多いと思います。しかし、そのアハズとマナセがそれでもイエス様の系図には記されています。
結語
では、“不適切”と扱われていたり、“不適切”としか思えないような人々が載せられているこの「イエス様の系図」は、一体、何を示そうとしているのか?ということでありますが、それが神様はそのような人々をも排除なさらないということであります。いいえ、排除どころか、神様はそのような人々を含む全ての人々を天の国/神様の国へと招くことを望んでおられるということであります。そしてそのことを実際になさるお方がお生まれになったということを、この系図は示しているのです。
『わたしが求めるのは憐みであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイによる福音書9章13節)イエス様を通して“神の子”とされ、そして“イエス様の系図に連なる者”とされている私たちがこの系図から語りかけられていることとは、私たちも神様の想いに/イエス様の想いに応えていくことであります。つまり、私たちも「排除をしない」、「招いていく」、そして「繋いでいく」ということであるのです。
前 奏 - キリストこそわが生命 - J. S. バッハ
招 詞 マタイによる福音書9章13節(下記)
賛 美 讃美歌21-329 目覚めよ、歌えよ(1,2,3,5)
主の祈り
聖 書 マタイによる福音書1章1-17節 (新約p.1)
祈 祷
黙 想
説 教 「不適切な系図?」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-280 馬漕のなかに
献 金
感謝祈祷
賛 美 2024年主題賛美歌 作曲:小室尚子
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マタイ9-13)
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