6月30日(日)10時30分より
メッセージ:「希望のある嘆き」
聖書:詩編130編
説教者:小野慈美牧師
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Ⅰ)幸いとは
一般的に人間にとっての幸いは、快適さです。身体的な快適さ。経済的な快適さ。精神的な快適さ(安心である、不安がない)。社会的な快適さ(誇れる地位や、業績などへの評価、賞賛)。しかし、快適さは突然に奪われることがある(病気、身近な者の死、失職など)。老いは、徐々に快適さを失っていくことだと言えるでしょう。もし、幸いの根拠が快適さだけであるとするならば、人生はとても不安定です。いつ失うかわからないからです。信仰は、快適さを保証するものではありません。しかし、信仰を持つときに、快適さを奪われても奪われない幸いがあるのです。それは、主なる神との交わりです。
Ⅱ)希望のある嘆き
詩編作者は率直に自分の思いを表現しています。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」(1)。「深い淵の底」とは「神から遠く離れてしまったような深み」です。その深みから神に叫んでも、届かずに消えていくように思われる。それでも、作者は、訴えます。「主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。次に、嘆きの原因が示されます。この詩編作者が嘆いているのは、罪です。神から遠く隔てを作ってしまったのは、自分の罪です。人は誰でも、心の中に神様以外、誰も知らない秘密の罪の部屋があります。3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。4 しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うのです。人は、自分で自分の罪を赦すことはできません。赦しがあるとすれば、それは神にのみある。神だけが本当の意味で、裁くことができるお方であり、赦すことのできるお方でもあります。赦しの言葉は、神からいただくしかない。だから、「御言葉を待ち望」むのです(5)。
「わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして」(6)。深い淵の底から主に向かって叫んでいるときには、その闇がいつ終わるのかわからないような思いになることがあります。見張りとは、エルサレムの町を囲む城壁の上で一晩中見張りを続ける夜警のことです。夜の間は、闇が周囲を支配し続ける。しかし、朝は必ず来る。そのように、詩人は、闇の中で光が見えないときも、主が答えてくださるという希望をもって嘆くのです。詩編作者は、御言葉を待ち、御言葉が与えられた自分の経験を人々に伝えるのです。
Ⅲ)三つの「イム」
4 赦しはあなたのもとに・・・7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖いも主のもとに。8 主は、イスラエルを/すべての罪から贖ってくださる。
「もとに」と訳されている言葉は、インマヌエルのイン(イム)、「共に」という意味です。赦しも、慈しみも、贖いも、主と「共に」、主の「もとに」あります。贖いとは、身代わりです。旧約の時代には、動物を犠牲にして、罪の赦しを得ました。しかし、わたしたちには、ただ一度、ご自身を贖いとして与えてくださった主イエスがおられます。深い淵の底から叫ぶとき、主イエスが来てくださる。いいえ、すでにきてくださった。そして、叫び求める私たちに、ふさわしい時に、命の御言葉を与えてくださいます。
「私はあなたと共にいる。あなたの罪は赦されている。安心していきなさい」と。
前 奏 - この世はみな 神の世界 - Satkz
招 詞 詩編134編(下記)
賛 美 讃美歌21-361 この世はみな
主の祈り
聖 書 詩編130編 (旧約p.973)
祈 祷
黙 想
説 教 「希望のある嘆き」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-432 重荷を負う者
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-25 父・子・聖霊に
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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1主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。 夜ごと、主の家にとどまる人々よ
2聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。
3天地を造られた主が
シオンからあなたを祝福してくださるように。(詩134)
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