10月13日(日)10時30分より
メッセージ:「心の貧しい人々は、幸いである。」
聖書:マタイによる福音書5章1-3節
説教者:浅輪一郎伝道師
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(群衆)
イエス様はガリラヤ中を回って、御国の福音を宣べ伝え、教え、人々のありとあらゆる病気や患いを癒やしておられました。するとその評判が広まって大勢の群衆がイエス様に付いて来るようになりました(4:23-25)。
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た」(5:1)とあります。イエス様は、弟子達だけに話したいから群衆を置き去りにして山に登られた訳ではありません。何故なら7章28節ではイエス様は群衆に対しても教えを伝えていたことがほのめかされているからです。そうしますと「心の貧しい人々は幸いである」の「心の貧しい人々」とは、弟子たちばかりではなく、群衆もと招かれるように指し示されているのかもしれません。
3節の「心の貧しい人々」の「心」と日本語に訳された言葉は、ギリシア語では「プニューマ」であります。そしてこのプニューマこそが、神のご意志であり、息(27:50)であり、風(ヨハネ3:8)であり、そしてイエス様の誕生の際に関与し、さらにはイエス様の死と復活後に弟子たちに与えられる聖霊(1:18、使徒1:8)であります。そうしますと、「心の貧しい人々」とは、そのプニューマが/神の霊が/神の意志が/聖霊が、「現時点では十分に宿ってはいないのかもしれない人々を指している」とも言えます。
また、今日の聖書箇所を ルカ(6:20)と比較しますと、ルカによる福音書においては、イエス様は「神の国はあなたがたのものである!」と目の前にいる弟子たちにはっきりと語られている一方で、マタイによる福音書においては、心の貧しい人々(プニューマに貧しい人々)を指して、「天の国はその人たちのものである」と記されています。このことからも特にマタイによる福音書において描かれているイエス様の関心は群衆のような人々にも向けられていると言えます。
(弟子たち)
では、マタイによる福音書で示されているイエス様の関心は、群衆だけに向けられていて弟子たちには向けられてはいないのでしょうか?いいえ、そんなことはありません。「プニューマに貧しい人々」と言うと私たちは弟子たちは除外されると思いがちですが、たとえ弟子たちであっても、一番弟子のペトロのように、最初からプニューマに満ち溢れた存在ではないからです(16:21-23、26:69-75)。しかし、そのようなペトロもイエス様が死なれ、復活をされ、神の右に上げられ、さらに聖霊をイエス様を通して注がれてからは(使徒2:32)、同じ人とは思えないぐらい力強く宣教の働きをするようになります(使徒言行録2章)。
イエス様は「幸いというものおいては、人々の条件が大事なのではない」と、むしろ「私たちの詮索や思いを遥かに超えたところに幸いがある」と示しておられます。
(イエス・キリスト)
では、私たちの条件/私たちの詮索や思いを超えて「私たちが幸せだと思える根拠は何か?」ということですが、それがイエス様です。かつては弟子どころかキリスト教徒を迫害する立場にいた使徒パウロはイエス様についてこのように語っています。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すわなち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(Ⅱコリ8:9)
神の子であるイエス様は、何一つ、不自由なことはありませんでした。言うなれば、豊かでありました。しかし、イエス様は私たちのために貧しくなられました。つまり誰をしてみても、結局は、罪というものを拭いきれない私たちのためにイエス様は貧しくなられたということであります/十字架に掛かって下さったということであります。
先々週、東間先生が「教会は赦された者の共同体である」とお話されましたが、この言葉に関連させると「教会は、心の貧しい者の/プニューマに貧しい者の共同体である」とも言えます。そうであるならば、その共同体において/教会において、心の貧しい私たちが/プニューマに貧しい私たちが、改めて私たちは心から神様を必要とし、神様に寄り頼むしかない存在であると思う時に、私たちは、私たちの共同体/教会の中心にはイエス様がおられるということに気づかされるのでしょう。そして私たちは、そこに…、天の国を見るのです。
「心の貧しい人々は、幸いである。 天の国は/教会は…、その人たちのものである。」
前 奏 -われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ- C. P. E. バッハ
招 詞 詩編34編9節(下記)
賛 美 讃美歌21-381 力に満ちたる(1,3,4,5節)
主の祈り
賛 美 - Pie Jesuあぁイエスよ - 伊藤杏・徳田祐子
恵み深き主イエスよ、彼らに安息を与えたまえ。
永遠の安息を与えたまえ。
聖 書 マタイによる福音書5章1-3節(新約p.6)
祈 祷
黙 想
説 教 「心の貧しい人々は、幸いである」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-416 神の民は
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-29 天のみ民も
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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味わい見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
(詩34:9)
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