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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2024年10月27日

先週の礼拝

10月27日(日)10時30分より
宗教改革記念礼拝
メッセージ:「キリストの真実」
聖書:ガラテヤの信徒への手紙2章15-16節
説教者:小野慈美牧師


※どなたでも視聴できます。

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Ⅰ 信仰義認
10月31日は宗教改革記念日です。宗教改革者ルターの主張の中で、重要なのが、人は信仰によってのみ神に義と認められるという「信仰義認」の教えです。その根拠となっている聖書の言葉の一つがきょうの箇所です。
15 私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人のような罪人ではありません。16 しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだ・・・・
初代教会の中には、ユダヤ主義者と呼ばれる人たちがいて、神に受け入れられるためには、律法の戒めを守ることも必要だ(律法主義)と主張しました。パウロは彼らの主張を受けて、確かに、15 私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人のような罪人ではない。ユダヤ人は特別の民だ、異邦人とは違う(ここでの「罪人」とは、単に律法を守れないという意味であって道徳的な意味ではありません。)しかし、神の前では、ユダヤ人も異邦人と変わらないのだ。人は律法の行いによって義と認められるのではない。そのことはそもそも、ユダヤ主義者たちが大事にしている旧約聖書に書いてあるではないかと言わんがために、詩編を引用しています。16節最後の「なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです」は、「あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は命あるものの中にはいません」(143:2)の間接的な引用です。
Ⅱ キリストの真実によって
「義とされる」とは、神によって正しいと認めていただける、神様に受け入れていただけるということです。それは、律法の行いによってではなく、「キリストの真実による」(新共同訳では、「キリストへの信仰によって」)のです。ギリシャ語では、「キリストの“ピスティス”」と表現されており、ピスティスは「信仰」とも「真実」とも訳せます。つまり、「キリストの“ピスティス”」は、キリストに対する私たちの信仰とも、キリストご自身の持っている真実、とも解することができるのです。聖書協会共同訳では、救いは、私たちの信仰深さ、信心深さによらないのだということが強調されています。つまり、わたしたち人間がどれだけ真面目に生きているかという「良い子」の度合いによって神様に受け入れられるのではない。キリストの十字架が真実なのであり、私たちがなすべきことはキリストの真実を一方的な恵みとして受け入れることです。
Ⅲ 頭は信仰義認、心は行為義認
パウロが戦った律法主義は今でも形を変えて教会に忍び込んできます。それは「良い子でなければならない。よい子でなければ神様に受け入れていただけない」という思いです。頭では、信仰義認を信じていても、心の中では、行いがなければだめだ(行為義認)という強迫観念が払しょくできないのです。私もかつては「頭は信仰義認、心は行為義認」で悩んでいました。つまり、本当の意味で自分を受け入れることができずにいたのです。そのような時、アメリカ留学時代、指導教授が、「神がすでにキミを受け入れてくださっているのに、どうして自分で自分を拒絶するのだ」と言われたときに、自分をがんじがらめに縛っていた鎖がばらばらと、はずれていくのを感じました。キリストの真実との出会いでした。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」Ⅰヨハネ4:10
私たちがどれだけ信仰深いか、どれだけ神を愛しているかという以前に、キリストの十字架の真実の故に、神が私たちを愛してくださっている。そのことを素直に、感謝して信じる。そのとき、神の愛が私たちの内に息づき始めるのです。

前   奏   -  力に満ちたる  -   Satkz
招   詞   詩編46編2-4節(下記)
賛   美   讃美歌21-381 力に満ちたる(1,3,4,5節)
主の祈り  
賛   美   - 主はガリラヤ湖の -         聖歌隊
聖   書   ガラテヤの信徒への手紙2章15-16節(聖書協会共同訳)
祈   祷   
黙   想
説   教   「キリストの真実によって」       小野慈美牧師
祈   祷 
賛   美   讃美歌21-475 あめなるよろこび(1,2,4節)
献   金  
感謝祈祷
賛   美   讃美歌21-24 たたえよ、主の民
祝   祷                      小野慈美牧師
後   奏
分かち合い

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2神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこに
いまして助けてくださる。3わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも4海の水が騒ぎ、沸き返りその高ぶる
さまに山々が震えるとも。(詩46:2-4)





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