6月21日(日)10時30分~11時30分
メッセージ:「からだのよみがえりを信ず」
聖書:コリントの信徒への手紙一15章42-49節
説教者:小野慈美牧師
※どなたでも視聴できます。
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<「からだのよみがえり」とは>
「肉体は滅びるが、魂は永遠に生きる」(霊魂不滅)という考え方は、聖書が約束する希望ではありません。『千の風になって』という歌には、死者が風になるという内容が歌われています。しかし、風になるということは、その人が固有の存在であるというアイデンティティが無くなってしまうことです。聖書は「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです」(1コリント15:44)と語ります。「自然の命の体」すなわち、私たちの現在の肉体が滅んだ後に、霊だけが残るというのではなく、霊の「体」が与えられます。幽霊あるいは風のようなふわふわしたものではなく、その人のアイデンティティ(固有性)を宿すなんらかの実体があるということです。
<「霊の体」とは何か>
「霊の」(スピリチュアル)という言葉は、現代では、「非物質的」「目に見えない」という意味で使われますが、パウロの使い方は、聖霊の力・聖霊の命に完全に満たされているというような意味です。「聖霊の支配に100%満たされ、神の御心を完全に生きることができる体」という意味です。私たちが今生きている「時間、空間、物質」の世界とは全く異なる次元での新しい命の在り方です。それが、どのような状態なのかは分かりませんが、その人がその人であるということは、はっきり残るのです。
<私たちにとっての「からだのよみがえり」の意味>
①死の恐怖からの解放
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです(15:49)。「天に属するその人」とは、よみがえられたキリストのことであり、私たちもそのお方と同じ霊の体を与えられる。死が終わりではないことを信じることによって、死への恐怖から解放されます。愛する主が、あの復活の朝に死を打ち破られたように、私たちもまた、主と同じ姿でよみがえらされるからです。
②労苦は無駄にならない 15章の最後で、パウロはこう結んでいます(58)。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
得しなければ、人生は空しいと判断する生き方から解放される。損するか得するかに関わらず、真実に生きる。平凡なことの中にも、主イエス・キリストの暖かいまなざしを覚えながら生きることが出来る。この世界で主のために、隣人のために、このからだを使って汗を流し、涙を流したすべての歩みは、決して消え去りません。その歩みは、新しい天の御国へと繋がっています。
③苦難を乗り越える力が与えられる。
あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている(ヨハネ16:33)。この世界には不条理と思えることがあふれている。悪が満ちている。闇の力が勝っているかのように思えることがある。しかし、そこで、絶望したり諦めたりするのではなく、なお、神のご支配を待ち望んで、今、自分が生かされている場所で、少しでも神の愛を届けていくのです。
讃美歌21-575「球根の中には」の元の英語の歌詞の3節には、日本語の訳では抜けている「そして最後には勝利がある」という言葉があります。見える世界が全てなのではなく、たとえ私たちには、すべてが見えていなくても、神様の真実は変わらない。そして最後には神の真実が勝利するのです。
前 奏 - 聖なる聖なる - Satkz
招 詞 フィリピの信徒への手紙3章21節(下記)
賛 美 讃美歌21-351 聖なる聖なる(1,3,4)
主の祈り
聖 書 コリントの信徒への手紙一15章42-49節(新約P322)
祈 祷
賛 美 讃美歌21-347 たたえよ、聖霊よ(1,2,5,6)[6月の歌]
黙 想
説 教 「からだのよみがえりを信ず」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-575 球根の中には
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-27 父・子・聖霊の
祝 福 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、
私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ形に変えてくださるのです。(聖書協会共同訳)
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