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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2018年10月7日

先週の礼拝


主日礼拝・聖餐式
10月7日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「人を生かす言葉」
聖 書:ルカによる福音書13章22-35節
説教者:小野慈美牧師

真理は、人を裁きます。裁きは、しばしば罰するという意味で使われますが、「裁く」と訳されているギリシャ語“クリノー”の第一の語義は、「分ける」「区別する」です。つまり、真理が現れると、それを受け容れるか受け容れないかという選択が起こり、結果として裁きとなるのです。「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている」(ヨハネ3:19)はそのことです。
「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」(23)は、「私は大丈夫ですが、どの範囲の人間まで救われるのですか?」という傲慢な問いです。それに対し、主イエスは「ユダヤ人たちは、神から選ばれた民で当然神の国の宴会に招かれると思っているが、宴会の席から締め出されることになる」という意味のたとえを話されました。彼らは、命の言葉(聖書)を死んだ戒めの言葉、規定集にしてしまいました。さらに生活を縛る細かい決まりを作り、それを守ることを最重要事としました。だから、主イエスが、父なる神の本来の心を、言葉と行動で示されると、従来のユダヤ人の習慣を脅かしたので、拒絶しました。29,30節は、「ユダヤ人ではなく異邦人が神の国の宴会に大勢招かれる。異邦人が先になり、ユダヤ人が後になる」という意味です。
主イエスの厳しい言葉は、罰することが目的なのではなく、真理を受け容れて欲しいという願いです。33、34節の「エルサレム」は場所そのものではなく、当時のユダヤ教の体質です。「狭い戸口から入る」とは、固定観念を捨て、聖書の言葉を柔軟に絶えず新しく聞き直す態度です。意識的にせよ、無意識的にせよ、自分の考えだけを正しいとする自己絶対化の生き方は神の言葉を聞けなくします。キリスト者も同様です。
神様は、耳の痛いことを言う人を通して語り掛けることがあります。時には、社会的にあるいは年齢的に下の人を通して。そのようなとき、私たちは負けまいとして必死にまくしたてたり、一見謙虚そうにふるまいながら自己正当化のための言い訳をしたりします。そうして真理に耳を傾ける機会を失っていくのです。
主イエスの「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」(34)という言葉は、「わたしのもとに来なさい。わたしのもとに来て、真理に耳を傾けなさい」と必死に招いておられる愛の言葉です。主イエスの厳しい言葉は、罪からわたしたちを守ろうとなさる恵みの言葉、「人を生かす言葉」に他なりません。


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前   奏   - 私はあなたを呼びます、主イエス・キリスト - J.S.Bach
招   詞   詩編 145編1-2節
賛   美   21-57(1,3,4節) ガリラヤの風かおる丘で
主の祈り
交 読 文   交読詩編 第26編
賛   美   - み神のすまいは -             聖 歌 隊
分かち合い   
賛   美   21-140 み神のすまいは
聖   書   ルカによる福音書 第13章22-35節   (新共同訳新約 135頁)
祈   祷   
黙   想    
説   教   「人を生かす言葉」             小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美   21-55 人となりたる神のことば
献   金 
感謝祈祷
聖 餐 式   賛 美  21-72 まごごろもて
        聖書朗読と感謝祈祷
        配 餐 
賛   美    21-50(アーメン)みことばもて主よ
祝   祷                        小野 慈美 牧師
後   奏

日本バプテスト同盟では、10月を「学校・協力団体を覚える月間」と定めています。同盟の協力団体は学校や保育園、社会福祉の働き、公益法人の働きと様々です。全国に建てられている諸団体の働きを覚えて、特にキリスト教教育の業がさらに強められていくように、祈りを合わせましょう。

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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