12月1日 午前10時30分より
          (アドベントⅠ)
          メッセージ:「神が目を留めてくださる」 
          聖書:ルカによる福音書1章1節-25節
          説教者:小野慈美牧師
          
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祭司ザカリヤとその妻エリサベトにはこどもが無く、こどもが与えられることをずっと願っていました。しかし、年月は過ぎ去り、二人は年齢を重ねていきました。
           ある時ザカリヤが神殿で香をたく役割を与えられました。そこに天使が現れました。「ザカリヤ、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む」(13)。しかし、ザカリヤは自分の願いをすでにあきらめており、天使の言葉を信じませんでした。そこで天使は続けます。「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」(20)。ザカリヤは口がきけなくなり、息子が生まれるまでの10ヶ月間、沈黙せざるを得ませんでした。しかし、彼はむしろ希望を与えられました。希望とは、人間的には期待できない状況でも、神の約束であれば、時がくれば必ず実現することを待ち望むことです。信仰とは神の言葉に対する信頼です。ザカリヤは「その時が来れば、再び話すことができるようになるということだ。その約束を信じて、待とう」と決めたのです。
           メディアから様々な言葉があふれ出て、知らないうちに私たちの考えに影響を及ぼします。そして、その考えが私たちの語る言葉となって出てきます。だから耳に入ってくる言葉、目にする言葉に無頓着であってはなりません。不用意に言葉を発してはなりません。良い言葉を聞くことをしていないと、私たちの語る言葉も、否定的な言葉となっていくのです。最も信頼に足る、良い言葉は神の言葉です。神の言葉に信頼するなら、私たちは希望を持って生きることができるのです。エリサベトは「主は今こそ、こうしてわたしに目を留め」(25)てくださったと言います。子どもが与えられるという祝福があって初めて目を留めてくださったというのではなく、実はずっと目を留めてくださっていた、そのことが今こそ、示されたのです。
           「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。「世」とは、一般的な世界ではなく、私であり、あなたのことです。どの一人も、神がそのために独り子をお与えになるほどに、大切な存在だという宣言です。だから、自分自身も、他の人をも落としめてはならないのです。この言葉を信じるなら、どんな状況の時にも、「神が心に留めてくださっている」ことを忘れないでいることができるのです。 
          
前   奏    - 久しく待ちにし - F.ぺータース
招   詞    イザヤ書 11章10節
賛   美    231 久しく待ちにし
主の祈り    
交 読 文    交読詩編 第26編
賛   美    - よきたより告げよ民に - メサイヤ9      聖 歌 隊
分かち合い
賛   美    257 目覚めよ、高く歌え
聖   書    ルカによる福音書 第1章1-25節    (新共同訳新約 99頁)
祈   祷
黙   想
説   教    「神が目を留めてくださる」          小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美    241(1,2節) 来たりたまえわれらの主よ
献   金
感謝祈祷
聖 餐 式   賛 美 78(1,2,4節) わが主よ、ここに集い
聖書朗読と感謝祈祷  
配 餐  
賛   美    229(1,6節)(アーメン) いま来たりませ
祝   祷                           小野 慈美 牧師
後   奏
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