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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2021年7月11日

先週の礼拝


7月11日(日) 10時30分より
メッセージ:「私たちは何を背負うのか」
聖書:ルカによる福音書9章23節
説教者:浅輪一郎伝道師


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「自分の十字架を背負う」という言葉と向き合います。具体的には「自分の十字架を背負って」の前と後ろに記されている「捨てる」という言葉と「従う」という言葉から、私たちが「日々、自分の十字架を背負って生きるということは、一体、どういうことなのか」について導きを祈り求めます。
<捨てる>
 「捨てる」という言葉には、一旦捨ててしまうと、もはや手元にはないイメージがあります。しかし、ここで「捨てる」と翻訳されているギリシャ語の「アルネオマイ」という言葉を調べてみますと、元々の意味は「捨てる」ではなく、「否定する」という言葉であることが分かります。
 かつてペトロは「イエス様に従います」と言いました。しかし、イエス様が十字架に捕らえられると一転して「私はあの人を知らない」と言いましたが、この「知らない」と翻訳されている言葉が、「アルネオマイ」です。イエス様の弟子であることが知られると身にどのような危険がおよぶか分かりませんから、一生懸命否定している一番弟子の姿がそこにあった訳です。
ですから今日の聖書箇所に記されています「自分を捨て」の「捨てる」とは、かつての自分、事情を抱えた自分、古い自分をポイっと捨てるというよりは、事情を抱えたままの古い自分を「打ち消そうとする行為である」と言えるのかもしれません。
<従う>
 「従う」はギリシャ語では「アコルーセオー」となりますが、この言葉がルカによる福音書においてはどのような箇所で用いられているのかということを見てみますと、非常に興味深い示唆が得られます。ルカによる福音書の初めでは、イエス様の公生涯に向かっての様々な「準備」や「説明」が記されています。そして4章から伝道が始まります。5章では弟子たちが集められますが、その最初の弟子たちの一人こそがペトロでした。漁師であったペトロは網を捨てて、つまり生活の全てを捨ててイエス様に従いました。ペトロに続く弟子としては徴税人のマタイが紹介されています。マタイはお金に苦労することがない立場にいながらも、何もかも捨ててイエス様に「従った」と記されています。これらの弟子たちが示すように、「従う」とは、やはり全てを捨てることと結び付いている行為であるかのように思えます。しかし9章にまで目を向けて見ますと、少し異なる従うあり方が登場します。群衆の姿です。9章には、群衆はイエス様の弟子たちが行った伝道と病気の癒しを知って「イエス様の後を追った」と記されていますが、実はこの「後を追った」と翻訳されている言葉も、「アコルーセオー」が使われているのです。従った人々とは、必ずしも全てを捨て去って、イエス様の直接の弟子となった人々ばかりではないということなのです。イエス様の評判を聞いてイエス様に付いて来続けた「群衆」または「名もなき人々」にも、この「アコルーセオー」という言葉が用いられているのです。このことは、私には大きな励ましのようにも思えているのです。
<背負う>
 ところで、私は一人で部屋に籠って辞書や注解書だけからの導きで「メッセージが完結できたらいいなあ」と思うことがあります。伝道師として幼稚園の先生として不甲斐なさを感じることもあります。しかし、私は召し出されます。自分にとって「居心地がいい」と思う場所から、自分が「こうありたい」と望む姿から、押し出されます。それはあたかも「あなたが学ぶべき場所はここである」と「あなたが日々自分の十字架を背負う場所はここである」と示されるかのようにです。
しかし、今日の御言葉は私ばかりに語られている訳ではありません。皆さまに、そして、私たち一人一人に、語り掛けられている聖書のお言葉でもあるのです。

前   奏   - よろずのもの -   ウィラン作曲 
招   詞   マタイによる福音書11章28-29節(下記)
賛   美   6 つくりぬしを賛美します
主の祈り   (「讃美歌21」93-5 B 日本キリスト教協議会統一訳)  
聖   書   ルカによる福音書9章23節 (新約p.122)
祈   祷
黙   想
説   教   「私たちは何を背負うのか」      浅輪一郎 伝道師
祈   祷
賛   美   432 重荷を負う者
献   金   (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
聖 餐 式
賛   美  “御言葉は道の光”(歌詞が開きます)
祝   祷                     小野慈美 牧師
後   奏 
分かち合い

***************************************
28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませて
あげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたし
に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
(マタイ11章28-29節)


■主の祈り (日本キリスト教協議会統一訳)

天の父よ
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
みこころが天で行われるように 地上でも行われますように。
わたしたちに今日も この日のかてをお与え下さい。
わたしたちに罪を犯した者を ゆるしましたから、
わたしたちの犯した罪を おゆるし下さい。
わたしたちを誘惑から導き出して 悪からお救い下さい。
み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。


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