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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2021年10月3日

先週の礼拝


10月3日(日)10時30分より
メッセージ:「神の愚かさ」
聖書:コリントの信徒への手紙一1章18-25節
説教者:小野慈美牧師


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1:25「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」とパウロは告げます。「神の愚かさ」とは何でしょうか。一つは「十字架の言葉」の愚かさであり、もう一つは「宣教という手段」の愚かさです。
1)十字架の言葉の愚かさ
1:18 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」。弟子たちは、主イエスの復活に出会い、主イエスの十字架の死が、一人の宗教家の死ではなく、人となった神の救いの業だったことを知りました。十字架と復活は一体のことです。パウロが「十字架の言葉」というとき、それは「神の受肉、十字架、復活」のできごとを通してなされた救いのメッセージを表しています。しかし、ユダヤ人にとって、十字架は呪いのしるしでこそあれ、救いのしるしなどではありません。また、ギリシャ人にとって、死者が復活するなどということはおとぎ話のようなものでした。イエスキリストの十字架が人間の罪を赦す救いのみわざであったという使信は、パウロの時代の人々にとっても、受け入れられるものではなかったのです。
2)宣教という手段の愚かさ
神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。十字架の言葉の愚かさは、そのメッセージの内容の愚かさだけではなく、宣教の手段の愚かさ、つまり、宣教の手段として、不完全な人間をお用いになるということでもあります。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」一テサロニケ2:13
パウロの言葉が神の言葉であるとは、だいそれた発言のように聞こえます。しかし、パウロはこれを感謝と驚きをもって語っています。自分の貧しい言葉が、聞く者の中で命をもって働くことを知って驚いているのです。不完全であり、ときには、間違いをさえ含む人間の言葉が、聖霊の働きによって神の言葉となるという奇跡が起こるのです。
 神が直接大きな力で神の真理を伝えるという方法もあったでしょう。しかし、神はあえて、人間をお用いになりに、「宣教という愚かな手段によって、信じる者を救おうとお考えになったのです。」だから、この手段には祈りが不可欠です。「また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください」(エフェソ6:19)。福音は神秘です。人間の説得力ではなく、十字架の出来事そのものの持つ力が信仰を起こさせるのです。
3)愚かな「十字架の言葉」への招き
1:24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。愚かな十字架の言葉は、召された者、招かれた者には、神の力、神の知恵です。このメッセージが単なる救済の「思想」なのではなく、「命の言葉」であるからです。十字架の言葉は、人類一般に対してではなく、時間と空間を超えて、今、ここにいるあなたへの招きの言葉として語られています。「主イエス・キリストは、あなたの罪のために十字架についてくださった。だから、あなたは罪赦された者として、安心して神の前に立つことができる。そして、主イエスは甦られた。その主は、あなたが生きているときも、死ぬときも、共にいてくださる。あなたを孤独に放り出されることはない。」それが十字架の言葉のあなたへのメッセージです。

前   奏   - 今、装いせよ -        G.P.テレマン
招   詞   箴言7章1-3節(下記)
賛   美   210(1,2,4) 来る朝ごとに
主の祈り   (「讃美歌21」93-5 B 日本キリスト教協議会統一訳)
聖   書   コリントの信徒への手紙一1章18-25節 (新約p.300)
祈   祷
黙   想
説   教   「神の愚かさ」          小野慈美 牧師
祈   祷
賛   美   404 あまつましみず
献   金   (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
聖 餐 式
賛   美  “御言葉は道の光”(歌詞が開きます)
祝   祷                    小野慈美 牧師
後   奏 
分かち合い

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1 わが子よ、わたしの言うことを守り/戒めを心に納めよ。2戒めを守って、命を得よ。わたしの教えを瞳のように守れ。3それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。(箴言7:1-3)

■主の祈り (日本キリスト教協議会統一訳)

天の父よ
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
みこころが天で行われるように 地上でも行われますように。
わたしたちに今日も この日のかてをお与え下さい。
わたしたちに罪を犯した者を ゆるしましたから、
わたしたちの犯した罪を おゆるし下さい。
わたしたちを誘惑から導き出して 悪からお救い下さい。
み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。


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