通常「5000人の給食」と呼ばれているヨハネ福音書の第4のしるしです。この奇蹟の記事は4つの福音書すべてに記されております。「リトリート」という言葉があります。通常「退修会」と訳され、その意味は黙想することを目的に忙しい生活を離れて静かな場所に退くことです。主イエス様も人を避けて静かな所で御父と交わりを持たれようとされたのではないでしょうか。しかし大勢の群衆が後を追いました。その理由は主イエス様が病人たちになさったいやしのしるしを見たからです(2節)。その数は男5000人とあります。「男性」というのは、旧約の時代では「戦いの戦力」(cf.民数記1章)でしたが、新約の時代では「ファミリー」を表します。従いましてこの時は家族も含めて1万人以上がいたのではないかと思われます。
このしるしの大きなテーマは「弟子訓練」であります。4節に「過越祭が近づいた」とありますが、翌年の過越しの祭りに主は十字架におかかりになります。参考までに申し上げますと「ヨハネの福音書」には過越しの祭りの記載が3回あります(2:13、6:4、11:55)。主イエス様の公生涯が3年(もしくは3年半)と言われている根拠がここにあります。さて主イエス様はすべてを承知で弟子のピリポに「どこでパンを買えばよいか」と言われました。ピリポは「200デナリオンのパンでも足りない」と答えました。ある意味では常識的な見方ですが不可能な面を見ています。これに対しアンデレは少し違いました。パン5つと魚2匹を持っている少年を連れて来ました。彼のこの行動に主イエス様なら何かをしてくださるという期待があったのではないでしょうか。こうしてこの奇蹟が起きたのです。
この記事を通して次のようなことが示されました。(1)自分の視点で「足りない」と判断するのではなく、キリストの視点から判断することです。私たちの教会の奉仕に適用する時、「どうせ伝道してもうまくいかないから」という「自分の視点」で判断していないでしょうか?伝道は主の働きです。「キリストの視点」に立ちましょう。(2)大麦のパンは粗末なパン、安いパンです。「こんな物(事)が何の役に立つだろうか」と考えるのではなく、わずかなものであっても心から主にお捧げする時、主はそれを大きく用いてくださり、捧げた人に豊かな祝福を注いでくださるのです。さて、あなたはイエス・キリスト様に何を捧げますか……?
|