2009年1月25日

シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています。」 ヨハネによる福音書6章68-69節

メッセージ

 今週のみことばの前のコンテキストでは、主イエス様が「命のパン」であるという教えを聞いて、弟子たちの内の多くの者が離れていったとあります。そして直前の67節で、主は12弟子に『あなたがたも離れて行きたいか』と尋ねられました。これに対しシモン・ペテロが答えた内容がテキストの聖句です。この言葉はペテロの信仰告白です。ペテロの信仰告白と言いますと、ピリポ・カイザリヤでのもの(マタイ16:16、マルコ8:29、ルカ9:20)が有名ですが、このヨハネ福音書における告白も素晴らしいものです。その理由は、
1.「主よ」という言葉の中にペテロはイエス様の神性と主権を認めておりました。だからこそ『だれのところへ行きましょう』と告白でしたのです。
2.『あなたは永遠の命の言葉を持っておられます』との告白から、ペテロは「命のことば」であるキリストこそ、永遠の命を与えてくださることを確信したのです。
3.『神の聖者』、つまりイエスが神によって聖別された方、神の御子であることを信じていたのです。
ここで注目したいのは、ペテロが『信じ、また知っています』と言ったことです。私たちは普通、まず知ってから信じます。キリスト教信仰において、聖書の知識を「知る」ことはとても大切なことです。しかしイエスというお方を知ってから信じるのであるならば、「どこまで」「どのように」知ってから信じるのでしょうか……。信仰告白とは「知る」ことの表明ではなく、「信じる」ことの証しです。まず「信じる」ことが先で、そうすると「知る」(分かる)のです。
イエス・キリスト様の十字架はあなたのために立っています。救いとはこのキリストを信じることです。求道中の方は今、「イエス様、あなたを救い主として信じます」と告白しましょう。すでに救われている人は、ペテロの信仰告白を自らのものとして受け入れ、みことばに聴従していきましょう。

東間 克美