2009年2月22日

イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」ヨハネによる福音書11章4節

メッセージ

 ヨハネ福音書11章には、後期ユダヤ伝道の終わり、すなわち主が十字架の道に向かう途上に於いての御業が記されております。この11章の「ラザロの生き返り」と言われている奇蹟は、ヨハネ福音書の7つのしるしの最後のもの(21章の「大漁の奇蹟」を除く)です。この奇蹟が意味するものは、イエスがメシアであることの証明、そして主イエスは永遠の命を与えるお方であることを教え、イエス・キリストの十字架の死と復活の意味を明らかにすることです。
 ベタニアに主イエスが親しくしておられたマルタ、マリア、ラザロという姉弟がおりました。今ラザロが病気になり、二人の姉妹は人を送って『主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです』と伝えました。本来ならばこの後に「すぐに来ていやしてください」という言葉が続くはずです。しかしここに二人の素晴らしい信仰を見ることができるのではないでしょうか。彼女たちは主イエスの御手に委ね、最善をなしてくださることを確信する信仰に生きていたのです。信仰とは自己中心ではなく主が中心です。
 これに対し主が答えられたのが今週のみことばです。『神の栄光のため』という言葉は、私たちに大きな示唆を与えます。私たちはともすると自己中心の思いや、自分の置かれている立場・状況だけで物事を捉えてしまうではないでしょうか。しかし主イエス・キリストは私たちに、私たちを生かし導いてくださる神様の御業を仰ぐ信仰の歩みをするよう教えておられるのです。
 自分の視点から神の視点で、この世の視点から信仰の視点へパラダイムシフトすることを私たちは求められているのではないでしょうか。

東間 克美