11月03日(日) 午前10時30分より
主日礼拝・聖餐式
説 教:「祝福を生きる」
聖 書:マタイによる福音書5章43-48節
説教者:小野慈美師
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(44)という言葉は、理想論ではなく、現実的な勧めです。
@ 聖書の「愛」は、「好きになる」という意味ではありません。愛は、認識であり、態度です。つまり、敵対する相手も、神によって創られ愛されている存在であることを認識し、相手の存在を重んじようとする態度です。自分にとって相性の良い人だけを大事にするというのは、結局は自己愛の延長にすぎないのです(46,47)。
A 「自分を迫害する者のために祈れ」の内容は「祝福を祈る」ことです。祝福を祈るとは、「ものごとが都合よくいきますように」と祈ることではなく、その人に「神様の最善が為されますように」と祈ることです。
B 祝福を祈るためには、赦すことが必要です。それは、正義をあいまいにすることではありません。しかし、正義を求めているつもりが、内心では復讐心に支配されてしまうことがあるのです。復讐心はわたしたちの心をむしばみます。そこから解放される方法が、赦すということです。ただし、赦すとは、憎しみや怒りの感情を押さえつけることではなく、怒る権利、憎む権利を神様にお渡しすることだと言うことができます。あなたの尊い命を、憎しみや復讐心で使い果たすのは残念だ、そこから解放されて新しく生き始めて欲しい。それが主イエスの願いです。
C 「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(45)。この箇所を読むときに、わたしたちは、「悪人」ではなく「善人」、「正しくない者」ではなく「正しい者」の立場に身を置きがちです。しかし、わたしたちが、ひとり神様の前に立つとき、「わたしだけは善人、正しい者です」と言える者はいません。まず自分が神様に赦され愛されていることを感謝し、他者の祝福を祈る者となりましょう。
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※配信は説教開始から最後までとなります
前 奏 − 主の招く声が − 蒔田尚昊
招 詞 コリントの信徒への手紙U 第1章4−5節
賛 美 21−386
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第99編
賛 美 21−155
分かち合い
賛 美 − みことばはあまねく伝わり − 聖 歌 隊
聖 書 マタイによる福音書 第5章43−48節 (新共同訳新約 8頁)
祈 祷
黙 想 − いかに幸いな人 − 志村拓生
説 教 「祝福を生きる」 小野 慈美 師
祈 祷
賛 美 21−404
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−81
聖書朗読と感謝祈祷事
配 餐
賛 美 21−90
祝 祷 小野 慈美 師
後 奏
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