11月17日(日) 午前10時30分より
主日礼拝
説 教:「追いかけてくる神の恵み」
聖 書:マタイによる福音書20章1-16節
説教者:小野慈美師
「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるでしょうか。」(マタイ19:27)という問いに対する答えとしてこのたとえが語られました。
たとえ話は、この世界のことがらを材料として用いながら、「神の国」つまり神様のお考えが、たとえられています。したがって、この世界では考えられないような非現実的な要素が含まれています。
その一つは賃金の支払い方法です。夕方の5時から働き始めた者から支払いが始まり、しかも、どの労働者にも1デナリオンが支払われました。朝6時から働いていた者たちは、朝、雇われたときの喜びを失いました。賃金を「労働に対する当然の報酬」ととらえ始めたからです。
非現実的なもうひとつの要素は、主人自らが一日に5回も、ぶどう園と市場とを往復したということです。ぶどう園の主人は、普通は現場に顔を出すことはなく「監督」に任せていました。ところがこの主人は現場に出向き、しかも監督の仕事を自ら行いました。「暑い中を辛抱して」働いたのは他ならぬこの主人なのです。それは、ひとりでも多くの者を自分のぶどう園に招きたいという強い思いの表われです。そして十字架において、このたとえは事実となりました。「あなたはきょうわたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)ということばによって、「ぶどう園に行きなさい」という言葉が実現しているのです。
1デナリは、神の恵みをいただくには程遠いと思われる者に対しても与えようとする神様の「気前の良さ」です。「先にいる者」とは、時間的な「先」ではなく、「自分こそ1デナリをもらう優先順位が上だと思っている者」の意味です。主イエスに招かれているということが既に恵みであるのに、どれだけ仕えたかという自分の功績を誇るようになるとき、恵みが恵みではなくなり、恵みをいただくという喜びにおいて「後になる」のです。
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前 奏 − 天にましますわれらの父よ − Weinmann
招 詞 詩編 第94編17−19節
賛 美 21−386
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第102編1−19節
賛 美 21−56
分かち合い
賛 美 − 感謝、主に感謝 − ジュニア聖歌隊
聖 書 マタイによる福音書 第20章1−16節 (新共同訳新約 38頁)
祈 祷
黙 想 − メディテーション − Satkz
説 教 「追いかけてくる神の恵み」 小野 慈美 師
祈 祷
賛 美 21−459
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−90
祝 祷 小野 慈美 師
後 奏
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