主日礼拝
8月31日(日) 午前10時30分より
説 教:「目の見えない人の癒し」
聖 書:マルコによる福音書10章46-52節
説教者:長谷川温雄師
教会学校はお休みです。
「目が見えない」とか「足が悪い」とかいった肉体的な障害を、神がいやしてくださる話が聖書の中には多くあります。今日、そうした障害を神の罰と考える人はないと思いますが、昔はそう思う人がいたようです。病気だけを見て判断しないで、障害を持っていても、素晴らしい生き方をしている人があることを知ります。今朝はマルコ福音書を読みましたが、ほかの福音書と違うところは、その生い立ちが名前に表れているといえます。バルティマイとは「不浄な子」という意味です。主は彼を癒されました。それは「祈り」によらなければならないと、弟子に教えられました。主イエスにとっては、神の権限を求める祈りであるといえますが、弟子にとっては、信仰による祈りを意味しています。52節の「行きなさい」という言葉ですが、これは奇跡が行われるときに用いられる慣用語で「救い」の成就を示しています。
聖書の癒しは 全人的な癒しと結びついています。闇の世界から光の世界に移し変えられるという深い意味を表しています。癒された盲人バルティマイは、今や「光の子」として、主に従う信仰者になったことを聖書は明らかにしています。神の愛の働き、癒されるものの信仰、それを執り成す人々の存在も不可欠です。ヤコブの手紙5:13−15は、その具体的な方法を教えています。
信仰の祈りとは霊的な祈りのことですが、ブルームハルト父子を思い出すことができます。彼らはドイツの小さな村で23歳の少女が憑依現象で苦しんでいるのを見て、人類の上に悪魔の網がかけられていることに驚き、怒り「イエスの名において苦しみと戦う」ことを宣言し、勝利したのです。それは宗教化され、制度化された教会ではなしえなかったことです。霊の力が働いて、絶望を砕き、勝利した姿がそこにあります。
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前 奏 − 前奏曲ト長調 − J.S.バッハ
招 詞 詩編 第46編9−10節
賛 美 21−502
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第128編
賛 美 21−343
分かち合い
聖 書 マルコによる福音書 第10章46−52節 (新共同訳新約 83頁)
祈 祷
黙 想 − 天にまします我らの父よ − J.クリーガー
説 教 「目の見えない人の癒し」 長谷川 温雄 師
祈 祷
賛 美 21−458
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−24(アーメン)
祝 祷 長谷川 温雄 師
後 奏
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