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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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〒221-0804 神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43

礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2014年10月26日

先週の礼拝

主日礼拝
10月26日(日)  午前10時30分より
説 教:「わたしの助けは来る」
聖 書:詩編12章1-9節
説教者:佐藤和久師

 ヘブライ人への手紙4:16には、「時宜にかなった助け」と私たちの主は呼ばれます。素晴らしい呼び名です。ところが、「神様は、私にとって何の助けにもなってくれない」と胸をふさぐ隣人が居られるのも私たちは知って居ます。では、主はいつ、だれをお助けになるのでしょう? 自分が 「虐げに苦しむ者」「呻いている貧しい者」に気付き手を差し伸べ「あえぎ望む救いを」(6)与える者とみ言葉は言います。ルカ福音書の「放蕩息子」、「徴税人の頭ザアカイ」、「マグダラのマリヤ」。彼らは皆、主のもとに走り寄り助けられました。
 もう一つ考えることがあります。信仰生活を送っていくとき、交わりがどれほど大切であるかということを私たちはおりにふれて思わせられます。なぜなら主イエスが「わたしにつまずかない人は幸いである」(マタイ11:6)と言われたように、キリスト教には大きなつまずきがあるからです。今年もやがてクリスマスを迎えます、そこに天使のお告げを聞いた羊飼いたち「……話し合った」(2:16)仲間がいたのです。今日の私たちも、互いに語り合う信仰の交わり兄弟姉妹があってこそ、主イエスの躓きを乗り越えて、信仰を増し加えられていくのです。
 詩人は2節の終わりに「人の子らの中から 信仰のある人は消え去りました」、神様に忠実に生きていこうとする人がいなくなってしまったと言い。3節では「人は友に向かって偽りを言い 滑らかな唇、二心をもって話します」と、人の言うことはわからない、口先だけでうまいことを言っているが、心の中では何を思っているか少しもわからない、と言って嘆いています。一人の人が神様のみ前に自分の信仰を正していく、一人の人が神様を「聖なる方」と信じて従うところから、信仰は確立されていきます。そこからでないと本当のものは生まれてこないのです。
 8節に「主に逆らう者は勝手にふるまいます。人の子らの中に 卑しむべきことがもてはやされるこのとき」と詩人が言うように、本当に信頼できるのは神様の御言葉だけであると知らなければなりません。しかし詩人は、その神様の御言葉に寄り頼んでいけない自分にも気づいています。
悪に走る世の姿を見ながら、詩人も負けてはいません。7節終わりに「土の炉で七たび練り清めた銀」と言って、主の仰せ、御言葉はあたかも炉で七たび練り直した銀のように百パーセント信頼できると、詩人の時代だけではなく「この代からとこしえに至るまで」(8)とその信頼と戦い続ける決意を言い表します。「七たび練り清めた銀」というのは、当時は人が扱う貴金属のうち、金よりも銀が尊ばれていたことがうかがわれます。日本でも昔付けた地名に「銀座」はありますが「金座」はないのと同じです。「七たび練り清め」は七という数よりももっと数多く、それは製錬に製錬を幾たびも重ねて、純粋な銀に仕上げたことを言います。パウロはローマの信徒たちに申しました「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると取るに足らない」と (ローマ8:18)。迫害によって「七たび練り清めた銀」となれと力強い言葉を送って励ましています。

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前 奏    - 神はわが砦 - ハンフ
招 詞     詩編 第121編1b-2節
賛 美     21-28
主の祈り
交 読 文    交読詩編 第23編
賛 美     21-436
分かち合い
賛 美     - み神をたたえよ -      聖 歌 隊
聖 書     詩編 第12編1-9節 (新共同訳旧約 843頁)
祈 祷
黙 想     - メディテーション - Satkz
説 教     「わたしの助けは来る」   佐藤 和久 師
祈 祷
賛 美     21-448
献 金
感謝祈祷
賛 美     21-27(アーメン)
祝 祷                  佐藤 和久 師
後 奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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