主日礼拝
11月2日(日) 午前10時30分より
説 教:「 新しい名前 」
聖 書:創世記32章23-33節
説教者:小野慈美牧師
ヤコブは「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる」(創31:3)という神の言葉に促され、家族を連れて20年ぶりに故郷に向かいました。故郷に近付き兄エサウのところに使いを出すと、「(兄上様は)四百人のお供を連れてこちらにおいでになる途中」(32:7)ですとの知らせを受け、ヤコブは恐れをいだきます。かつて父と兄をだまして、長子の祝福を横取りしたことを、兄エサウが今でもうらんでいるのではないかと。神様の約束があるけれども、兄エサウに対する恐れが膨らみます。「どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません」(32:12)。
信仰と恐れとは、相反するものでしょうか。むしろ、恐れがあるからこそ、神の前に出るのです。その夜、ヤコブは神の使いと格闘しました。その時使いは問います。「お前の名はなんというのか」(28)と。彼は「ヤコブです」と答えます。「ヤコブ」とは、「かかと」です。そこから、足を引っ張る、出し抜く者、詐欺師という意味が生まれました。ヤコブは自分のしてきたことを考えれば、「ヤコブです」と言わざるを得ません。「良い子」ではないのです。しかし、だからこそ「神様、あなたの憐みが、祝福がなければだめなのです」と神にしがみつきました。ここに、正直な祈りの姿が示されています。神は、人間が悟りきったような態度で生きるよりも、幼子が親に訴えるように神に求めることを喜んでくださいます。親に心配をかけまいとして「良い子」を演ずるよりも、率直に「求めているものを神に打ち明ける」(フィリピ4:6)ことを神は喜ばれるのです。
このヤコブに「イスラエル」という新しい名前が与えられました。「神と争う」という意味です。そこから、神が戦う、神が支配するという意味にもなりました。わたしたちも、良い子だからではなく、正直に神の前に立ち神の祝福を求めるときに、ヤコブの子孫としての新しい名前をいただけるのです。
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前 奏 − 天にましますわれらの父よ − Weinmann
招 詞 詩編 第34編2−4節
賛 美 21−389
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第143編
賛 美 21−432
分かち合い
賛 美 − ひらけ、とこしえの扉よ − 聖 歌 隊
聖 書 創世記 第32章23−33節 (新共同訳旧約 56頁)
祈 祷
黙 想 − メディテーション − Satkz
説 教 「新しい名前」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−90
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−78
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21−148(1,3節,頌栄)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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