主日礼拝
11月9日(日) 午前10時30分より
説 教:「主の約束の民」
聖 書:ローマの信徒への手紙9章1-18節
説教者:長谷川温雄師
私たちが社会生活をするうえでは約束事が多くあります。人は一人では生きて行けないためです。教会においても、「教会の約束」を取り交わし、神と人、教会員同士の約束を守っています。聖書もまた旧約と新約というように神と人との間の契約を記しています。
ペテロの手紙T(1:3-5)は私たちに与えられている希望の約束です。この約束ははじめイスラエルの民に与えられましたが、そののちすべての人に与えられたものです。ユダヤ人でない異邦人にも与えられた。ノアとの契約の締結では、そのしるしとして天体を弓のように結ぶ虹を示された。
旧約の約束では、神はイスラエルを恵みによって選ばれましたが、イエス・キリストが神の下から来られた時、ユダヤ人は彼を十字架に付け、信仰による神の救いの約束を拒否しました。そして異邦人がイエスをメシアと信じるようになったのです。そこで、初めに選ばれたイスラエルはどうなってしまうのでしょうか。これが異邦人の使徒パウロの「深い悲しみ」であり、「絶え間ない痛みであった」といいます。これに対して、ユダヤ人の使徒ペトロは、彼の手紙に見るように、異邦人の救いについて確信にあふれて語っているのです。彼らは共にキリストの使徒であって、すべての人の救われるために心血を注いでいたのです。そのことは使徒言行録15章にある、エルサレム会議においても論じられ、ファリサイ派からキリストを信じるようになった人びとが、異邦人にも民族の肉の割礼を受けさせるべきだと主張しました。この時、ペトロは小預言書を引用して、そこに「神は昔から異邦人も主を求めるようになる」と書いてあることで弁明したのです。しかしそれは、肉によるのではなく、信仰による約束に従って生まれる者が子孫とみなされるのです(7、8節)とあります。選びは信仰によって救いとなるのです。
信仰の道は民族的な父祖―子孫の伝承でないことが分かります。わが国では巷間に、キリストは異教の神だといい、父祖の宗教でないと言って反対しますが、それは誤りで、信仰によってはじめて、「主の約束の民」とされるのです。
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前 奏 − 前奏曲 − J.Sバッハ
招 詞 詩編 第117編1−2節
賛 美 21−389
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第118編
賛 美 21−149
分かち合い
賛 美 − ひらけ、とこしえの扉よ − 聖 歌 隊
聖 書 ローマの信徒への手紙 第9章1−18節 (新共同訳新約 286頁)
祈 祷
黙 想 − イエスは わがよろこび − J.G.ワルター
説 教 「主の約束の民」 長谷川 温雄 師
祈 祷
賛 美 21−579
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−148(1,3節,頌栄)(アーメン)
祝 祷 長谷川 温雄 師
後 奏
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