アドベント第2主日礼拝
12月7日(日) 午前10時30分より
説 教:「わたしではなく、神が」
聖 書:創世記41章14-16,25-40節
説教者:小野慈美牧師
待つことには二つの場合があります。@或ることの日時が決まっていてその時を指折り数えて待つ場合Aそのことの日時はわからず、さらにそのことが起こるかどうかも定かではない場合。ヨセフは神に信頼し第二の待ち方をすることができた人物です。
兄たちのねたみによりエジプトに売られたヨセフは役人ポティファルの奴隷となりました。彼は主人の信頼を得て家の一切の管理を任されるほどになりましたが、無実の罪で投獄されてしまいました。しかし、ヨセフは看守長から信頼されて牢獄の管理を一切ゆだねられることになりました(創39:22)。
ある日、王の給仕役と料理役が、仕事の上の失敗で投獄されてきました。その二人が夢を見、ヨセフが解き明かしました。「給仕役は三日後に職場復帰できるが、料理役は三日後に死刑に処せられる」と。そしてヨセフは、給仕役に頼みました。「わたしは無実の罪で投獄されたのです。あなたが職場復帰したら、私がここから出られるように王様にとりはからってください。」三日後、ヨセフの解き明かし通り、給仕役は釈放され料理役は処刑されました。ヨセフは解放の時を今か今かと待ち望んでいました。「ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった」(創40:23)のです。
「二年の後」(41:1)にその時が突然訪れました。王の夢を解き明かすために、ヨセフが王に召し出され、結果的に王の次の地位に取り立てられたのです。この「二年」という期間は、あとになって初めて言えることであって、その時が来るまでは、いつ終わるともしれない日々をすごしていたのです。しかし、ヨセフはその間も看守長の代務者の仕事をたんたんと続けていました。ヨセフに「待つ」ことを可能にしたのは「わたしではなく神が」(41:16)という態度です。つまり、自分が置かれている状況を神は知っておられるのだから、人間的には何も起こっていないかに見える現実に絶望するのではなく、今も神は働いておられ、「神の時」に神はみわざをなさる。そのことを信頼して、今自分に託されている現実を丁寧に生きたのです。それが、主が再び来られるのを「待つ」者の生き方です。
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前 奏 − 来たりたまえ 我らの主よ − Satkz
招 詞 イザヤ書 第40章4−5節
賛 美 21−241
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第147編
賛 美 21−242
分かち合い
賛 美 − 冬の野に咲いた − 聖 歌 隊
聖 書 創世記 第41章14−16節 (新共同訳旧約 71頁)
創世記 第41章25−40節 (新共同訳旧約 72頁)
祈 祷
黙 想 − 今 来たりませ − ツァハウ
説 教 「わたしではなく、神が」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−532
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−78
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21−229(1,3,6節)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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