アドベント第3主日礼拝
12月14日(日) 午前10時30分より
説 教:「人となられた神」
聖 書:創世記41章14-16,25-40節
説教者:小野慈美牧師
わたしたちの信じる神は、どこか遥かかなたにおられるのではなく、完全に人間の生活の只中に入ってこられました。神が「へりくだって」(フィリピ2:8)人間となられたのです。そして、わたしたちもこの主に従うことが求められています。
「へりくだる」というのは、自分より立場の下の人に対して謙虚に振舞うというような小手先のことではありません。神の前で、自分の本当の姿を知るということです。自分は、生かされているものであって、自分で生きているのではない。それなのに、自分の立場を高めよう。この世界で大きいとされている価値を求めて生きていこうとするとき、主イエスから離れてしまいます。なぜなら、主は小さい者のところに、この世界では軽んじられている者たちのところへ近づいていかれたからです。
それは、この世界で地位や力のある人がすべてイエス様から遠いという意味ではありません。大きいこと、力を持つことこそ価値があると考え、小さいこと、力がないことは、意味がない、生きる価値がないと考えるような生き方をしている者は主イエスから離れていってしまうということです。
○主はへりくだって貧しくなられました。貧しい者の友となるために。
○主はへりくだって力を行使することを捨てて苦しまれました。苦しんでいる者の友となるために。
○主はへりくだって威厳を捨てて悲しみの涙を流されました。悲しんでいる者の友となられるために。
「へりくだった神」それが、わたしたちの神です。この神が私たちを愛し、いつも共におられることを知るとき、悲しみや苦しみは、決してあってはならないものなのではなく、喜びへの入口とさえなるのです。なぜなら、苦しみや悲しみがあるところに主は寄り添ってくださるからです。
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前 奏 − 世の救い主きたもう − J.Sバッハ
招 詞 マラキ書 第3章1節
賛 美 21−242(1、2、3節)
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第148編
賛 美 21−247
分かち合い
賛 美 − こどもたち ともにいこう − ジュニア聖歌隊
聖 書 フィリピの信徒への手紙 第2章6−11節 (新共同訳新約 363頁)
祈 祷
黙 想 − ベツレヘムへの旅 −
説 教 「人となられた神」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−265
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−229(1,3,6節)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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