クリスマス主日礼拝
12月21日(日) 午前10時30分より
説 教:「神は我らと共にいます」
聖 書:マタイによる福音書1章18-25節
説教者:小野慈美牧師
マリアの夫ヨセフは一言のセリフもない目立たない存在です。しかし、この「正しい人」(マタイ1:19)ヨセフの生き方の中に、「インマヌエル」(1:23)の神を信じる者の姿がはっきりと示されています。
@優しさ:「正しい」と訳されていることばは、「親切な」「優しい」とも訳しうる言葉です。聖書の「正しさ」は表面的な正義をかざして裁くことではありません。人間の弱さ、悲しさに寄り添い、何とかして相手を生かそうとする態度です。ヨセフは表面的な正しさでマリアの過ちを「表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと」しました。マリアを少しでも傷つけまいとする思いやりでした。
A責任感:彼は、天使から、マリアの胎内の子が特別な子であることを知らされ、妻マリアを迎え入れるようにと命じられます。いわばお荷物を一方的に背負わされることになったのです。しかし、彼は、自分とは何のつながりもないその幼子を「わが子」として引き受ける決断をしました。
Bいさぎよさ:彼は生涯ひとりの大工として働き、一家を支え、主イエスが小さい時には父親として信仰を伝えたに違いありません。そして若くして死んだと考えられます。つまりヨセフ自身は、自分の息子がどんなに偉大な存在なのかを知ることもなく、淡々と平凡な人生を終えました。ヨセフも自分を平凡だと思っていたに違いないのです。しかし彼は「天使が命じた通り」の人生を受け入れ、その人生の主人公として生き切りました。他人の人生と比較して一喜一憂することをしなかったのです。
世界的に有名な或る実業家が「自分は確かに仕事において成功したかもしれないが、本当の人間になることに失敗した」と語ったそうです。一方、自分の人生に神が共におられ、その神の御声に従って生きる者は、たとえ目立たなくても、華やかでなくても、本当の人間になることができるのです。ヨセフが「主の天使が命じたとおり」(1:24)生きたように、わたしたちも神様を信頼し、その導きに従って歩むとき、「インマヌエル」というミドルネームをいただくことができます。すなわち、わたしの名は「小野・インマヌエル・慈美」です。そして、あなたも「○○・インマヌエル・○○」です。
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前 奏 − 讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ − J.Sバッハ
招 詞 ヨハネによる福音書 第3章16節
賛 美 21−262
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第98編
賛 美 21−266
教会の信仰告白
分かち合い
賛 美 − 主をほめ、主をたたえ −
− Gloria − 聖 歌 隊
聖 書 マタイによる福音書 第1章18−25節 (新共同訳新約 1頁)
祈 祷
黙 想 − 聖なる御子 − J.アイルランド
説 教 「神は我らと共にいます」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−263
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−229(1,3,6節)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
クリスマス主日礼拝終了後、愛餐会が開催されました。
福島支援プロジェクトの報告、賛美、小野牧師のサプライズもあり、主の降誕を祝う会となりました。
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