主日礼拝・聖餐式
3月1日(日) 午前10時30分より
説 教:「無いものねだりではなく、有るもの感謝」
聖 書:出エジプト記16章12-31節
説教者:小野慈美牧師
「無いものねだり」という態度は、いつも正しいものです。「無いもの」を指摘するのですから、必ず当たっているのです。わたしたちが誰かを評価するときに、「無いものねだり」をするならば、その人を批判的にしか見られなくなります。その人には必ず欠けているものがあるからです。イスラエルの民は、エジプトから解放されましたが、そのとたんに困ったことが起こりました。食料が底をついたのです。そこで、人々は無いものねだりをしてモーセとアロンを非難しました。
「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」(出エジプト16:3)
もちろん、荒野で食料が無いことは死活問題です。食料を求めたこと自体が悪かったのではなく、エジプトから解放されたことに対する感謝を忘れ、目先のことで右往左往し、神に信頼しなかったことが問題だったのです。しかし神はイスラエルの不信仰にもかかわらず、うずらとマナで民を養ってくださいました。わたしたちも、「無いもの」に注目するあまり、「有るもの」与えられているものが見えなくなることに気を付けなければなりません。そして、何よりもわたしたちには主イエスが与えられていることを忘れないでいましょう。これ以上の「有るもの」はありません。
「わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」(ヨハネ6:48,49,51)。主イエスの復活を信じ、永遠の命を信じるならば、これからの日々は永遠の命へと近づいていく日々となります。最大の贈り物である主イエスが、今与えられていることを共に喜び祝いましょう。聖餐を受けることは主イエスの命をいただくことです。
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前 奏 − イエス 十字架につきたまいし時 − バッハ
招 詞 箴言 第16章2−3節
賛 美 21−59
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第142編
賛 美 21−301
分かち合い
賛 美 − ギレアデの薬草は − 聖 歌 隊
聖 書 出エジプト記 第16章12−31節 (新共同訳旧約 120頁)
祈 祷
黙 想 − イエス 十字架につきたまいし時− シャイト
説 教 「『無いものねだり』ではなく、『有るもの感謝』」小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−521
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−79
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21−29(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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