主日礼拝
3月8日(日) 午前10時30分より
説 教:「神を知らぬ者」
聖 書:詩編14章1-7節
説教者:長谷川温雄師
詩編について、どれほどご存知でしょうか?いろいろありますが、14編は53編とほとんど同じです。違うところといえば神の名が14編では「ヤーウェ」、53編ではエロヒムです。それと、14編5-6節と53編6節と言えばよいでしょう。パウロもロマ書3:10-12で、この詩編を引用しています。この詩編の表題は「人間の堕落」と言ってよいでしょう。終末期の堕落です。これは現代的な無神論論争ではなく、日常の生活上「神などない」と言っているひとを、詩人が糾弾していると見られます。神は死んだ神でなく、わたしたちの生活に関わってくださる神です。イスラエル人もギリシャ人も神を悟らず、求めていない。それと反対に神を求めて生きている人とは、つぎの15編の2-5節に挙げられている人々です。1節が新共同訳では「神を求めない人」と訳されていますが、以前の口語や文語聖書では「愚かなひと」で始まっています。「愚かな人」は「神を求めない」「神などない」という。「神を知らぬ人」という人は愚かな人だということを言外に含んでいるのです。ここでいう「愚か」とは、わたしたちが普通にいう、人間の理性で判断する「無知」ではなく、「目に見えない神を知る」知恵(ロマ1:20)を失っている状況を言います。言葉を換えて言うと「神は世の(理性的な)知恵を愚かにされた」(第一コリントT:20-21)のです。その無知がわたしたちを神から遠ざけているのです。その結果、神の理性を与えられている人は、神の完全な道を歩き、神の正しいことを行い、真実の言葉を保ち、他人を中傷せず、友人を損なわず、あざけらない。主の心にかない、主を畏敬し、悪事に手を貸さず、高い利息をとって、他人に金を貸すことなく、また4節「わたしの民を食らい」―これは他人から賄賂をとったり、搾取しないことを言い表していますので、そういうことをしない人です。
この掟に反する人は、53編に神の審きが具体的に示されています。それは「あなたに陣を敷いたものの骨をまき散らす、無知なるものを辱める」(53篇6節)とあるのです。そして神の掟を守る人を救い、ご自分の民として故国に連れ帰って下さるというのです。
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前 奏 − 罪なき子羊 十字架にかかりて − J.S.バッハ
招 詞 詩編 第121編7−8節
賛 美 21−117
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第36編
賛 美 21−301
分かち合い
賛 美 − 主の息から漏れるものは何もない − 聖 歌 隊
聖 書 詩編 第14編1−7節 (新共同訳旧約 844頁)
祈 祷
黙 想 − 罪なき子羊 十字架にかかりて − J.バッヘルベル
説 教 「神を知らぬ者」 長谷川 温雄 師
祈 祷
賛 美 21−529
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−29(アーメン)
祝 祷 長谷川 温雄 師
後 奏
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