棕櫚の主日礼拝
3月29日(日) 午前10時30分より
説 教:「本当に、この人は神の子だった」
聖 書:マルコによる福音書15章33-41節
説教者:小野慈美牧師
「棕櫚の日曜日」に、人々は沿道に立ち、棕櫚の枝(新共同訳では「なつめやし」)を振って主イエスを出迎えました。「ホサナ」とはヘブライ語で「救ってください」の意味です。当時ユダヤ人たちは、ローマ帝国の圧制に苦しんでいました。そのとき、ラザロを死から甦らせたというイエスのうわさを聞きました。「ローマから解放してくれる王なるメシアがついに現れた」という期待が高まりました。しかし、イエスがその期待に応えてくれないと知ると、一転して人々は「イエスを十字架につけろ」と叫ぶことになりました。
少しの利己心のないつもりの聖なる思いであっても、それがいつでも神様の目から最善であるとは限らないことを忘れてはなりません。そうでないと、わたしたちも、いつの間にか自分の正しさを振りかざして、「十字架につけろ」と叫んでしまうのです。この自己絶対化こそが、罪の本質です。
十字架の死刑囚たちは、肉体的な苦痛があまりにもひどいために呪いや恨みのことばをわめきちらして死んでいくのが常でした。そういう光景を見慣れていた百人隊長は、主イエスが憎しみや恨みのことばを一言も口にせずに、とりなしの祈りをしていることに驚き「本当に、この人は神の子であった」と言わずにはおれなかったのです。この、一見、無力な十字架にこそ、偉大な救いのわざが秘められていたのです。
自分の罪に気付かずに人を裁いている私たちのために、主は今も「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と祈り続けていてくださいます。その赦しを与えられた者として、わたしたちも、この百人隊長と共に、「本当に、この人は神の子であった」と告白しましょう。そして、その信仰を言い表す思いで、「ダビデの子、ホサナ、救いたまえ」と賛美しましょう。
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前 奏 − 恵み深きイエスを迎えよ − バッハ
招 詞 ヨハネによる福音書 第10章14−15節
賛 美 − ダビデの子ホサナ − キッズクワイア・ジュニア聖歌隊
− 栄光と賛美とほまれ −
賛 美 21−151
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第111編
賛 美 21−301
献児式
分かち合い
聖 書 マルコによる福音書 第15章33−41節 (新共同訳新約 96頁)
祈 祷
黙 想 − バビロンの川のほとりに − ロイポルド
説 教 「本当に、この人は神の子だった」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−300
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−29(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
3月29日(日)「棕櫚の主日」
エルサレムに入場する主イエスの凱旋を喜び、民衆が棕櫚の枝を取って出迎えたところから、棕櫚の主日または枝の主日と言います。
礼拝では棕櫚の葉を持ってキッズクワイアが入場しました。
礼拝内で幼児祝福式がありました。
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