主日礼拝
4月26日(日) 午前10時30分より
説 教:「支え合う群れ」
聖 書:出エジプト記18章12-27節
説教者:小野慈美牧師
モーセが一人で民の相談に応じているのを見て、舅のエテロがアドバイスをしました。
@モーセは「(民)に掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。」また、
Aリーダーたちを立て、モーセが担うべきこととリーダーたちが担うべきこととを分担しなさい。
ここに教会としても聞くべき指針が示されています。つまり、
@教会は礼拝共同体として、まず、神の御心を聞き従うことを大切にする。
A礼拝共同体を整えていくことのためにこそ、さまざまな奉仕が位置付けられる。
教会は礼拝するところです。ですからわたしたちが目指すのは、教会という事業体(組織)を運営することではなく、礼拝共同体であるキリストのからだを建て上げていくことです。「教会とは何か」という問いに対する一つの答えは「神を礼拝する群れ」です。神を畏れ敬い礼拝することが教会の土台ですから、教会は礼拝を大切にしなければなりません。もし、礼拝が軽く扱われるならば、他の活動がどんなに盛んであっても、教会としての本質は崩れていきます。なぜなら礼拝が軽んじられるようになると、神を畏れる心が減じ、人間的な思いが横行するようになるからです。
礼拝共同体を整えるために重要なのは礼拝説教です。説教は主として牧師が担いますが、教会全体のわざでもあります。それは、礼拝で語られる説教に教会員も責任を持っているということです。その責任を担うための具体的な働きは、説教者のためにいつも祈り、福音が正しく語られることを支えることです。初代教会の使徒たちも説教のための祈りの支援を率直に訴えました。「わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください」(エフェソ6:19)。説教者の語る言葉が自動的に無条件で神の言葉であるのではありません。説教は一方では人間の言葉です。しかし不完全で貧しい人間の言葉が、聖霊の助けによって、神の言葉として語られ聞かれるという奇跡が起こります。そのためにも説教者のための祈りが不可欠です。
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前 奏 − 主イエス・キリストよ、われらを顧みて − J.S.バッハ
招 詞 詩編 第34編9−10節
賛 美 21−151
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第16編
賛 美 21−333
分かち合い
賛 美 − たたえよ、聖霊よ − 聖 歌 隊
聖 書 出エジプト記 第18章12−27節 (新共同訳旧約 123頁)
祈 祷
黙 想 − 主なる神よ、われを憐みたまえ − J.S.バッハ
説 教 「支え合う群れ」 小野 慈美 牧師
祈 祷
任 職 式 教会役員(執事・監事)
賛 美 21−540
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−27(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
礼拝内で教会役員(執事・監事)任職式がありました。
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