主日礼拝
5月17日(日) 午前10時30分より
説 教:「確かな拠り所」
聖 書:出エジプト記32章1-14節
説教者:小野慈美牧師
十戒に続いて幾つかの規定を与えられた後、モーセはヨシュアだけを連れて再びシナイ山に登り、40日間とどまりました。民はモーセたちの帰りを待ちましたが、なかなか降りてこないので、不安に襲われました。そこで金の雄牛の像を作り礼拝しました。偶像礼拝には二つの側面があります。
@見える確かさを求めようとする態度。
人間はさまざまな不安を消す為に、見えるものによりどころを求めます。イスラエルの民は、神が下って来る足場として金の雄牛像を造りました。そうすれば、自分達がそれをかついでいくことで、神も一緒にいることになる、神を所有できると考えたのです。わたしたちキリスト者も気がつかないうちに、神以外のものに見える確かさを求めてはいないでしょうか。しかし、見える確かさは一時的であり、新たな不安を呼び起こすのです。
A神を利用しようとする態度。
「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」(出エジ20:4 口語訳)。
「自分のために」。ここに偶像礼拝の本質があります。ヤハウェの神であれ、他の神であれ、自分にとって都合の良い神を作り出し、自分の思いを正当化するために神を利用しようとするのは、まさに神をしもべとすることであり、最も大きな罪です。
不安が襲う時、見えるものにしがみつきたくなる。あるいは、現実が思い通りにならないとき、「自分のために」都合の良い神を求めたくなるものです。では、何に拠り所を求めたら良いのでしょうか?「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(2コリ4:18)。また、主イエスは言われました。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(ルカ21:33)。わたしたちの拠り所はここにあります。神は見えませんが、神の真実な愛を「目にもの見せてくれる」出来事が起こりました。それが十字架です。十字架こそ、神様があなたを見離すことも見捨てることもなさらないというしるしなのです。
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前 奏 − 主はわがかいぬし − 柳瀬佐和子
招 詞 詩編 第66編20−21節
賛 美 21−206
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第30編
賛 美 21−347(1,4,5節)
分かち合い
賛 美 − Panis Angelicus 天使の糧を − ジュニア聖歌隊
(日本語訳)“天使のパンを人に賜う 御国の糧のくすしきかたち
貧しき主のしもべに イエスきみを与えたもう”
聖 書 出エジプト記 第32章1−14節 (新共同訳旧約 147頁)
祈 祷
黙 想 − 主イエスよ、われらに − J.G.ヴァルター
説 教 「確かな拠り所」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−463
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−346(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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