主日礼拝・聖餐式
7月5日(日) 午前10時30分より
説 教:「神を前にして生きる」
聖 書:使徒言行録4章32節-5章11節
説教者:小野慈美牧師
「教会」ということばが11節で初めて出てきますが、成立したばかりの教会で残念な出来事が起こりました。バルナバが土地を売りその代金をすべてささげ直後に、アナニアとサフィラが、土地を売った代金の一部を「全額だ」と偽ってペテロのところに持参したのです。それが見破られて、二人は死ぬことになります。なぜ、かくも厳しい裁きがなされたのかは、わかりません。
ただし、ここで問題にされているのは、一般的な偽善とは異なります。二人の最大の問題は、「教会のため、神様のため」と言いながら、本当の動機は他人からの評価を上げようとしたことにあります。そのような偽善については、神は厳しい裁きをなさいます。それは、自分のために神を利用することですから、ただの偽りよりも一層罪が深いのです。罪とは、単純に悪いことをさすのではありません。二人はここでは、むしろ、はた目には「良いこと」をして神を欺こうとしたのです。「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」(ガラテヤ6:7)。
バルナバは称賛を得ようと献金をしたわけではなかったので、称賛されても気に留めませんでした。「豊かに与えられた恵みに対する感謝の表現にすぎません。」そのように言ったに違いありません。
献金に限らず、人の目にとまらない奉仕であっても、聖霊の促しを受けて神様から示されたことをする。ここに真の自由があります。一方、「人に評価されなければやらない、評価されなければ意味がない」というのは実は不自由なのです。なぜなら、自分の生き方が他人の目にしばられるからです。
しかし、サタンは巧妙に人間の心を奪おうとします。サタンに心を奪われない為のかぎ。それはいつも神の恵みに立ち返ることです。人の評価に縛られて、きょろきょろしながら生きるのではなく、神の恵みに感謝して神を見上げて、自分の弱さや欠けを隠さずに正直に生きる。それが「神を前にして生きる」者の姿です。
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※配信は分かち合いからメッセージまでとなります。
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前 奏 − わが愛する神に − J.N.Hanff
招 詞 ヨハネによる福音書 第15章16−17節
賛 美 21−204
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第96編
賛 美 21−580
分かち合い
賛 美 − 新しい天と地を見たとき − 聖 歌 隊
聖 書 使徒言行録 第4章32節−5章11節 (新共同訳新約 220頁)
祈 祷
黙 想 − イエスはわがのぞみ − J.S.Bach
説 教 「神を前にして生きる」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−522
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−82
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21−28
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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