主日礼拝
7月12日(日) 午前10時30分より
説 教:「その時にはわからなくても」
聖 書:使徒言行録7章51節-8章8節
説教者:小野慈美牧師
@ステファノの殉教:ステファノは、外国で生まれ育った「ギリシャ語を話すユダヤ人」(使徒6:1)でした。彼は、教会の執事に選ばれた七人(6:5)のうちの一人で、大きな働きを期待されていました。ある日の彼の説教がユダヤ人たちの怒りを買いました。「何百年も伝統を守って神に仕えてきた我々を批判するとはなにごとだ。それは神に逆らうことと同じだ。」そのような怒りが一気に爆発し、ステファノは殺されたのです(7:54-60)。初代教会にとってステファノの殉教は、悲しいことでしかありませんでした。しかし、このことが福音宣教の拡大へとつながったことが後に明らかになるのです。ステファノを殺したことはあくまでも人間が犯した過ちでしたが、神様は人間の過ちをさえお用いになることがあるのです。
Aサウロの回心の準備:サウロ(後のパウロ)は、ステファノの説教と最後の祈りを聞いたでありましょう(7:58)。サウロは、ステファノの語ったことがよくわかったはずです。だからこそ反発して、彼も「ステファノの殺害に賛成し」(8:1)ました。しかし、後にサウロがダマスコ途上で主イエスに出会ったとき、ステファノの言っていたことが思い出され、それが真理であることに目が開かれたのです(9:18)。ステファノの殉教が、結果として、後の大伝道者パウロを生み出したのだということができます。
Bサマリア伝道:ステファノの殉教後、「エルサレムの教会に対して大迫害が起こり」、七人の執事の一人であったフィリポはエルサレムを追われてサマリアに行きました(8:1-5)。サマリア人はユダヤ人とは近親憎悪の関係にあり、ユダヤ人はその土地を通ることさえ忌み嫌っていました。しかし、このときの迫害が、当初はエルサレム教会の人々の念頭に無かったはずの「サマリア伝道」のきっかけとなったのです。
わたしたちにも、突然の出来事の意味がわからず、見通しも立たないために、「いったいこの先どうなるのだろう」と、ただおろおろすることがあります。確かに「願う道が閉ざされたときは、目の前が暗くなりま」す。しかし「どんなときでもあなたのお約束を忘れない者としてください」と祈ることによって、「感謝します。すべてのことを最善となしたもう御心を」と賛美する者とさせていただきましょう。
(斜体字は、賛美歌『感謝します』の歌詞を引用)
※7月12日の配信は機器トラブルのため出来ません。あしからずご了承ください。
前 奏 − われらはここに集いて − J.S.バッハ
招 詞 ローマの信徒への手紙 第12章17−19節
賛 美 21−19
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第97編
賛 美 21−580
分かち合い
賛 美 − 平和の祈り − 聖 歌 隊
聖 書 使徒言行録 第7章51節−8章8節 (新共同訳新約 227頁)
祈 祷
黙 想 − ただ神のみ心にまかせるものは − G.ベーム
説 教 「その時にはわからなくても」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−432
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−28
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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