主日礼拝
7月19日(日) 午前10時30分より
説 教:「目からうろこ」
聖 書:使徒言行録9章1節-22節
説教者:小野慈美牧師
「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」(使徒9:18)。これが「目からうろこ」という言葉の起源です。サウロ(=パウロ)の内面で何が起こったのでしょう。
パウロは、イエスの弟子たちの教えは間違っており、神に対する冒涜に他ならないと固く信じていました。ですから、ダマスコ(現在のダマスカス)にいるイエスを信じる一派を根絶やしにしようと出かけたとき、自分が悪い事をしているなどという思いは全くありませんでした。純粋にユダヤ教の伝統を守ろうとしていたのです。しかし、ダマスコに近付いたとき、天からの光に打たれ、「なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きます。彼が「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」との答えが返ってきました。彼は一時的に目が見えなくなりました。
ダマスコでこのことを思いめぐらしていく中で、パウロは自分の考え方を問い直しました。今までは自分が神を判定し、自分が神を守ろうとしていた。つまり、真理の判断の基準は自分の側にあった。しかし真理そのものであるお方がパウロに出会ってくださったとき、主客が逆転し、あくまでも神が主であり、自分は造られた者、被造物であることを思い知ったのです。どんなに真実であっても、人間の側の真実は相対化されねばなりません。真実に一生懸命生きているからといって、自分の考えが正しいのだとは限りません。パウロは、それまで正しいと思っていたことが、実は自分の考えを絶対化していた傲慢であることに気づき「目からうろこ」が落ちたのです。真理への回心でした。
二種類の頑固があります。「悪性の頑固」は、あくまでも自分の主義主張を貫き、決して変えようとしない態度です。それに対し、「良性の頑固」は、真理を求めることにおいては一途ですが、真理と出会い自分の間違いに気付いたときには柔軟に考えを変えることのできる態度です。パウロは真理であるお方に出会ったとき、「自分が真理だと思っていたこと」に固執することをやめたのです。私たちも、この柔らかさを持つときに、何歳になっても「目からうろこ」を経験することができるのです。
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前 奏 − 天にましますわれらの父よ − D.ブクステフーデ
招 詞 ヨハネの手紙T 第5章13−14節
賛 美 21−202
主の祈り)
交 読 文 交読詩編 第82編
賛 美 21−580
分かち合い
賛 美 − だから今日希望がある − ジュニア聖歌隊
聖 書 使徒言行録 第9章1−22節 (新共同訳新約 229頁)
祈 祷
黙 想 − 涸れたる谷間に − J.P.スウェーリンク
説 教 「目からうろこ」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−402
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−28
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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