主日礼拝
10月11日(日) 午前10時30分より
説 教:「イエス、故郷に帰る」
聖 書:マルコによる福音書6章1-13節
説教者:橋彰牧師(関東学院教会)
イエスさまが故郷のナザレに帰られたとき、故郷の人々はイエスさまにつまずき受け入れなかったので、ほとんど何の業も行えませんでした。人々もイエスさまも「驚き」ました。故郷の人々は自分たちの旧知のイエスとしてしか見ることができませんでした。皮肉なことに、日々群衆に追い求められ働きつづけられたイエスさまは、故郷で救いといやしの宣教を中断させられ、時を過ごされたのでした。
ナザレのイエス。マリアの息子。大食漢で大酒飲み。呼び名は時に評価が入り込みもします。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」。生まれ故郷がどこで、どんな家に育ちどんな学校を出、どんな経歴や経験や性質や病歴がある、だからこの人はこういう人間だろうとか、こうであるはずがない、など。もしわたしたちが誰かをそのように出自や過去の姿のまま更新させず、決めつけて見做していたとしたら、神様がその人を通してなされる新しい働きを見損ない、信じ受け入れ損ねてしまうかもしれません。
イエスさまは「故郷に帰る」ことにどんな思いを持っておられたでしょう。イエスさまが語られた話として「何もかもを失って故郷に帰ってきた放蕩息子が無条件に迎え入れられた」というストーリー(ルカ15:11-32)が伝えられています。イエスさまが弟子たちを宣教に遣わした際の旅姿に似ています。弟子たちはまるで、思いがけず故郷の家に迎えられた息子のように、無縁の場所や人間関係が温かく迎えられ関係を結ぶ故郷(父の家)になるような出会いと交わりを通して福音を伝えのです。彼らが与えられた「権能」とは、とらわれない自由さをも意味します。汚れた霊に憑かれたと見なされ、人々からレッテルを貼られてしまった人や場所にも踏み込み、そこに神様の新しい業が起こると宣言し、へりくだっていやしの業に奉仕してゆくのです。わたしたちの宣教は人々に「新しい故郷」を人々にリアルに伝えているでしょうか。
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前 奏 − フーガ − F.クープラン
招 詞 ヘブライ人への手紙 第12章28節
賛 美 21−364
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第84編
賛 美 21−393
賛 美 − ひらけ、とこしえの扉よ − 聖 歌 隊
聖 書 マルコによる福音書 第6章1−13節 (新共同訳新約 71頁)
祈 祷
黙 想 − 黙想曲 − S.ウェスレー
説 教 「イエス、故郷に帰る」 橋 彰 牧師
祈 祷
賛 美 21−448
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−148(1節,頌栄)(アーメン)
祝 祷 橋 彰 牧師
後 奏
分かち合い・神学校より挨拶
<神学校を覚える日>
日本バプテスト同盟では、10月第2主日を「神学校を覚える日」としています。日本バプテスト神学校では今年度、教師コース3名、信徒伝道者養成コース1名、科目履修生8名、聴講生4名の学生が学んでおられます。神学校の働きと学生・教職員を覚え、祈りを合わせましょう。
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