主日礼拝(召天者記念礼拝)
10月18日(日) 午前10時30分より
説 教:「主我を愛す」
聖 書:ヨハネの手紙一 4章16b-21節
説教者:小野慈美牧師
「人間には二つの価値があるといえます。@有用性の価値:何らかのものさしで測られる価値。どれだけ役立つかどれだけ貢献できるかというものさしで測られる価値です。基本的には、同等の能力や技術があれば、他の人間でも代わりがきく価値です。A固有性の価値:その人がその人である、その人の代わりは誰もできないという価値です。
この二つの価値は対立するものではありませんが、しばしば有用性のものさしで測られる価値だけで人間を評価しがちです。しかし、有用性の価値の大小や変化にかかわらず、神様は人間に固有性の価値を与えてくださっていることを忘れてはならないのです。もし、有用性の価値がすべてであるならば、年をとるということはとても寂しいことです。また、突然の病や事故などによって有用性の価値が奪われ、きびしい状況に置かれることもあります。しかし、固有性の価値は、状況の変化に左右されません。有用性の価値の大きい少ないに関係なく、父なる神はその人を愛し続けてくださいます。
どんなに大きな栄誉を受けた人でも、認知症になって過去の栄光がわからなくなるかもしれません。そのようなときこそ固有性の価値が支えとなります。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(1ヨハネ4:10)。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(4:19)。人間のわざや奉仕が神に愛される根拠ではありません。「神がまず」なのです。
讃美歌「主我を愛す」は、もともとは小説の中で、病気で死にゆく幼い男の子のために語られたものです。その詩が後に讃美歌の歌詞として取り入れられました。“イエス様はわたしを愛してくださる。いつもわたしのそば近くにいてくださる。そして小さな子を天国に連れて行ってくださる”。病弱で何もできない幼子も、有用性で測られストレスの中に置かれている働き盛りの者も、認知症で何もわからなくなった年老いた者も、まず、そして、いつも神が愛してくださっています。
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前 奏 − 装いせよ、わが魂よ − ブラームス
招 詞 フィリピの信徒への手紙 第3章20−21節
賛 美 21−393
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
交 読 文 交読詩編 第113編
賛 美 21−385
召天者記念式
分かち合い
賛 美 − 主のまことはくしきかな − 聖 歌 隊
聖 書 ヨハネの手紙T 第4章16b−21節 (新共同訳新約 446頁)
祈 祷
黙 想 − メディテーション − Satkz
説 教 「主我を愛す」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−484
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−148(1節,頌栄)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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