主日礼拝
10月25日(日) 午前10時30分より
説 教:「神を見いだすためには」
聖 書:使徒言行録 17章22-32節
説教者:小野慈美牧師
パウロがアテネを訪ねたとき、さまざまな神殿や神の像(一説では3000)を見ました。その中に『知られざる神に』(23)と書かれた祭壇を見つけました。それは、“お名前を存じあげない神様がいらしたら、「知られざる神に」という祭壇であなたをも拝みますので、どうぞ祟りを与えないでください”という趣旨でしょう。そこでパウロは彼らが「知らずに拝んでいる」(23)まことの神を紹介しました。
@「人間が造った神」ではなく、「人間を造った」神。
「金や銀や石などにほりつけたもの」(29)とは、拝む代わりに人間の欲望を満たしてくれる対象です。願いが実現すれば良い神様であり、願いが実現しなければダメな神様になります。つまり「人間が」人間の都合で神であるか否かを決めています。しかし、まことの神は「人間を」お造りになった神です。「天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みにな」(24)らないのです。
A祟りを与える神ではなく、愛をもって万物をお造りになった神。
「世界とその中の万物とを造られた神」は、愛をもって「すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださ」る神です。ですから、わたしたちは、神ご自身からのまた神の被造物である天体や自然物などからの祟りを恐れる必要はないのです。
B求めるなら出会ってくださる神(死者の中から復活なさった神)。
聖書の神は、わけのわからない神なのではなく、「探し求めさえすれば、神を見いだすことができるように」していてくださいます。「実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません」(27)。そして、「神はこの方(イエス・キリスト)を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」(31)。わたしたちが、思いがけない苦難や不条理に出会ったとき、それは祟りなのではなく、かえって神と出会う機会となるのです。それは、よみがえりの主が遠く離れておられる神ではなく、共に泣き共に歩んでくださる神であることを知ることができるときだからです。
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前 奏 − 神は わが砦 − ハンフ
招 詞 イザヤ書 第46章10節
賛 美 21−59
主の祈り)
交 読 文 交読詩編 第62編
賛 美 21−393
分かち合い
賛 美 − 信仰 − ジュニア聖歌隊
聖 書 使徒言行録 第17章22−32節 (新共同訳新約 248頁)
祈 祷
黙 想 − メディテーション − Satkz
説 教 「神を見いだすためには」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−405
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−148(1節,頌栄)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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