主日礼拝・聖餐式
11月1日(日) 午前10時30分より
説 教:「神はわが砦」
聖 書:使徒言行録 46章2-12節
説教者:小野慈美牧師
10月31日は、「宗教改革記念日」です。マルティン・ルターが95か条の提題(論題)を掲示したことを記念する日です。讃美歌21の377番は、ルターが詩編46編をもとに作詞作曲した讃美歌です。
ある時ルターが暗い顔つきで帰宅しました。すると妻カタリーナは喪服を着て、ハンカチで涙を拭って、悲しみの表情を浮かべていました。ルターが何が起こったのかと問うと、「マルティン、わたしたちの愛する神様がお亡くなりになったのです。それで悲しんでいるのです。」それを聞いてルターは笑い出しました。「わたしは、自分が不機嫌になることで罪を犯してしまった。あたかも神様が天にいらっしゃらないかのように振るまってしまった。」こうしてルターは笑顔を取り戻しました。
真剣に生きることは尊いことです。しかし、真剣さと深刻さを取り違えてはなりません。真剣さは、与えられた状況の中で自分にできることを祈りつつ一生懸命することです。一方、深刻さは人間にはどうすることもできないことまで、何とかしようとすることです。それは、あたかも神がおられないかのように振る舞うことであり、信仰の正反対です。深刻になると、人はユーモアを失うのです。
ルターはこのようにも言っています。「キリスト者は心朗らかな人間でなければならない。さもなければ、彼は悪魔から誘惑されているのだ。」どんなに困難な状況であっても、神が死んでしまったようなふるまいをするなということです。ユーモアはキリスト教信仰の大切な一部分なのです。
ルターは旅先で病に倒れたため、心配する妻に手紙を書きました。「心配するのをやめなさい。祈りなさい。そして心配事を神様に委ねてしまいなさい。」その8日後にルターは天に召されました。妻にとってルターのこの手紙は大きな慰め・励ましとなったことでしょう。
「ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」(8)を、左近淑先生は「ヤコブの神こそ、わたしたちを守り通すお方」と訳しておられます。「守り通す」とは苦難がおこらないようにしてくださるということではなく、どのような苦難がおそっても「必ずそこにいまして助けてくださる」(2)ということです。
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前 奏 − 来たれ聖霊、主なる神 − D.ブクステフーデ
招 詞 詩編 第86編11−12節
賛 美 21−151
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第100編
賛 美 21−377
分かち合い
賛 美 − ひらけ、とこしえの扉よ − 聖 歌 隊
聖 書 詩編 第46編2−12節 (新共同訳旧約 880頁)
祈 祷
黙 想 − イエスよ、わが喜び − J.S.バッハ
説 教 神は わが砦」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−123
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−79
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21−25(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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