クリスマス主日礼拝
12月20日(日) 午前10時30分より
説 教:「待望:遠くを見る目」
聖 書:イザヤ書25章6〜10a節
説教者:小野慈美牧師
礼拝後 愛餐会
25:6-10のイザヤの預言は、楽天的な願望を語ったものではなく、イスラエルの民が今後どのような道を歩もうとも、神の支配が変わることなく、最終的には救ってくださることを語ったものです。彼は「遠くを見る目」を持っていました。それは、@神の支配を信じる目、A永遠を見る目、です。
@神の支配を信じる目。短期的には、神がおられないかのように、信仰をもって生きることが損であるように思えることがあります。また今起きていることのすべてが了解できるわけではありません。しかし、この世界はわけのわからない暗い運命に操られているのではありません。世界が偶然に生じたのではなく創造者なるお方が支配しておられることを信じるがゆえに、今与えられている現実の中で真実に生きるのです。遠くを見る目を失うと短期的な状況に振り回されることになります。
A「永遠」を見る目。「主はこの山ですべての民の顔を包んでいた布とすべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる」(25:7-8)。「布」とは、喪に服するときに顔を隠すために用いたものです。主は布を滅ぼし死を滅ぼしてくださる。だから、永遠を見る目をもって主を待ち望むとは、状況が好転していくのを待ち望むこととは違います。なぜなら状況が好転しなければ、絶望(つまり望みを失う)という選択肢しかなくなるからです。永遠を見る目は、まだ実現していなくても、主の最終的な御約束を信じることによって希望を持って生きる目です。
「見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主」(25:9)。この約束は、主イエス・キリストにおいて実現しました。そして、救いが実現したのは「この山」の上、ゴルゴタの丘の上の十字架でした。
クリスマスの出来事は、まさにわたしたちの待望が、決して、幻想ではないことを保証しています。つまり、神は本当におられるし、神は本当にわたしたちと共におられるし、馬小屋で生まれ、十字架で死に、よみがえられた主イエス・キリストこそが本当の救い主なのです。
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前 奏 − パストラーレ − R.フューラー
招 詞 フィリピの信徒への手紙 第2章6−9節
賛 美 21−256
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第47編
賛 美 21−266(1,2,4節)
教会の信仰告白
分かち合い
賛 美 − 博士たちのベルキャロル − 聖 歌 隊
聖 書 イザヤ書 第25章6−10節a (新共同訳旧約 1,098頁)
祈 祷
黙 想 − 賛美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ − J.S.バッハ
説 教 「待望:遠くを見る目」 小野 慈美 牧師
祈 祷
転入会式
賛 美 21−258
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−235(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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