主日礼拝・聖餐式
1月10日(日) 午前10時30分より
説 教:「希望の根拠」
聖 書:ペテロの手紙I 1章1-12節
説教者:小野慈美牧師
ペトロの手紙一は、迫害に苦しむ初代教会のキリスト者たちに宛てた手紙です。「終わりのとき」(5)、「イエス・キリストが現れるとき」(7)とは再臨のことを指しています。「キリスト者として生きるのは決して平穏無事な日々の連続が約束されることではない。さまざまな苦難があるとしても、主の再臨を待ち望んで、希望をもって生きよう」という励ましと慰めが語られています。
現代日本に生きるわたしたちには信教の自由が与えられており、政治的、社会的な迫害があるわけではありません。しかし主イエスに従おうとするとき、この世界の価値観とは相いれないことがあり、ときには不利益を生じることもあります。しかし、決して不幸なのではない。「死者の中からのイエス・キリストの復活」(3)が、わたしたちの信仰の中身であり、最終的な希望の根拠です。
「わたしたちの国籍は天にあ」(フィリピ3:20 口語訳)ります。これは厭世的にこの世から浮き上がった生活をするということではありません。この世界で「仮住まい」(1)として生きる者への約束は;
@たとえ、苦難があっても、「永遠の命」が保証されている。
「天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産」(4)が用意されているのです。
Aこの世界での評価がわたしたちの最終的な価値ではなく、神からの栄誉が与えられる。
「イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」(7)。
仮住まいであることを知っていれば、この世界で称賛されても高慢になることから守られる。この世で栄誉を受ける機会がないとしても、決して卑屈になったり落ち込む必要はない。神を前にして真実に生きるならば、為したことが人から評価されようとされまいと、その価値はいささかも変わらない。だから、この世界の評価に振り回され一喜一憂する必要はない。今、与えられた場所で、神の御顔を仰ぎながら、今できることを真実に生きるのです。
個人の死という形で、又は主の再臨という形で、キリストの前に立つことであっても、わたしたちは永遠の命を、最高の栄誉を与えられている者として、最後の時を待ち望みつつ、今を生きるのです。
主日礼拝において、成人祝福式を行いました。
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前 奏 − 主なるイエスはわが喜び − J.S.バッハ
招 詞 イザヤ書 第40章28−31節
賛 美 21−151
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第15編
賛 美 21−18
成人祝福式
分かち合い
賛 美 − シメオンの歌 − 聖 歌 隊
聖 書 ペトロの手紙T 第1章1−12節 (新共同訳新約 428頁)
祈 祷
黙 想 − あかつきの空の美しい星よ − H.ボルネフェルト
説 教 「希望の根拠」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−482
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21−81
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21−24(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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