主日礼拝
1月24日(日) 午前10時30分より
説 教:「霊の食物によって」
聖 書:ペテロの手紙I 2章1-10節
説教者:小野慈美牧師
「そんなことは教会では通用しても、世間では通用しない」という言葉を聞くことがあります。もちろん、教会が非常識であったり、いいいかげんであってはなりません。しかし、一方で、「世間では通用しないこと」であっても教会では大事にしなければならないことがあることをも忘れてはならないのです。もし、教会のやり方がすべて世間と同じだったら、教会は教会でなくなります。
主イエスは、世間では通用しない神の国の価値観を多くのたとえで話されました。「放蕩息子」を父親が迎える態度(ルカ15)、「良いサマリア人」が敵対するユダヤ人の旅人を助けること(ルカ10)。
また主イエスが実際になさったことも世間では通用しないことでした。姦淫の現場でとらえられた女性を身を挺して守りしかも彼女を裁かずに赦したこと(ヨハネ8)、ローマの手先になって私腹を肥やしていた徴税人ザアカイの家に泊まったこと(ルカ19)、安息日に何人もの病人を癒されたこと。このような世間の常識に反することをなさったので、主は「人々からは見捨てられ」(1ペトロ2:4)、十字架につけられたのです。さらに十字架の上でも、恨んだり呪ったりせず、とりなしの祈りをなさいました。
しかし、人々が捨てた石を神は「生きた石」「隅の親石」(4,7)とされました。そして「主のもとに来」(4)る私たちも「生きた石」(5)として用いられ「霊的な家(教会)」(5)に築き上げられるのです。
教会は悪い意味で、世間知らずであってはならないが、根本的な価値観が世間の常識と同じであってはならない。つまり主イエスの十字架によって一切の罪が赦されたことを知り「主が恵み深い方だということを味わ」(3)った者は、世間に満ち溢れている一切の「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」を捨て去るのです。特に「偽善」を捨てよとは、神の御支配の及ばない領域があるかのような生き方をするな、あらゆる領域において神を前にして生きるのだという勧めです。神の前で、わたしたちは、自分の弱さも、失敗も、愚かさも正直に曝け出して良いのです。なぜなら、「今は憐れみを受けている」(10)のですから。そして日々「霊の乳」(神の言葉)を飲み世間で通用しない生き方を始めるのです。
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前 奏 − いと高きところでは神にのみ栄光あれ − G.ベーム
招 詞 ガラテヤの信徒への手紙 第5章22−23節
賛 美 21−206
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第119編9−16節(ベト)
賛 美 21−151
分かち合い
賛 美 − 神はそのひとり子を − 聖 歌 隊
聖 書 ペトロの手紙T 第2章1−10節 (新共同訳新約 429頁)
祈 祷
黙 想 − 愛するイエスよ、我らはここに集いて − J.S.バッハ
説 教 「霊の食物によって」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−404
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−24(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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