主日礼拝
1月31日(日) 午前10時30分より
説 教:「あなたの道を主にまかせよ」
聖 書:詩編37編3-6節
説教者:佐藤和久師
私達の人生の苦しみは、自分の途を、主に委ねきれないことによることが多いと存じます。神を知らないとか、祈らないというのではありません。ただ私達が祈る神が、主なる神ではないのです。自分が祈っている神が「真の神」であることを、忘れているのです。私達の祈りは、ときに単なる独り言や呟きになっていることがあります。そこからは実に乏しい力しか出て来ないのも当然ではないでしょうか。私達は自分自身の途に留まっていて、そのすべてを神の御手に委ねきらないのです。
祈るときその相手は自分と同じようなものではなくて、主であり給う方が相手なのだということを、余りにも考えません。それなのに、私達は、神様を自分のもとに引降ろし、神を自分に仕えるものにしようとしてしまいます。そこには前進もなければ明るい将来も望めません。私達は自分を正しいものと認めてもらいたいと、神に願います。
しかし、私達が正しいものと認められることが、その恵みであるような神が、なお神でしょうか。私達の願いが充たされることが、その意志であるような神が、神でしょうか。しかし神は、そのようなことをなされません。そのようなことをなされないということが、神の支配の智慧であり、私達に対する庇護であります。神はむしろ、私達の途をさえぎられ、止れと命じられます。私達に向って、「ノー」と仰います。
創世記の2章16-17節にありますエデンの園の記事に、「主なる神は人に命じて言われた。善悪の知識の木からは決して食べてはならない」と仰ったと言われています。それは神の途を求め歩むことを、私達に学ばせようとしておられます。それでは私達は祈ることが出来なくなります。しかし、神は私達の誤った、ほしいままな途のただ中に、私達のために一人の方を、神の愛し給う御独り子を、私達の救主を、お与え下さいました。そして彼が、私達に代って私達の過ち、罪汚れを、弱さを、聖名によって祈ることを教え、清めて下さるのです。
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前 奏 − 主はわがかいぬし − 柳瀬佐和子
招 詞 ヘブライ人への手紙 第12章5b−6節
賛 美 21−27
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第84編
賛 美 21−202
分かち合い
賛 美 − ゆるしてください − 聖 歌 隊
聖 書 詩編 第37編3−6節 (新共同訳旧約 868頁)
祈 祷
黙 想 − われらの神、くすしき主よ − H.A.メッツガー
説 教 「あなたの道を主にまかせよ」 佐藤 和久 師
祈 祷
賛 美 21−224
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−29(アーメン)
祝 祷 佐藤 和久 師
後 奏
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