主日礼拝
2月21日(日) 午前10時30分より
説 教:「悪をもって悪に報いず」
聖 書:ペトロの手紙T3章8-12節
説教者:小野慈美牧師
キリスト者とは、イエス・キリストを主と信じ、その主人に従うことを選び取った人のことです。
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(Tペトロ3:8-9)。ここに聖書の「愛」の内容が語られており、以下の主イエスやパウロの言葉にも合致します。「わたしの敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」(ルカ6:27-28)。「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」(ローマ12:19)。
そんな生き方は世間では通用しない、つり合いが取れないという感覚があります。しかし、キリスト者とは世間がどう見るかではなく、主イエスがどうご覧になるかを第一に考える人のことなのです。
さらに、「幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず」とあります。キリスト者であるならば、人の悪口を言うなというのです。神があなたのことを良く言ってくださるのですから、人からの悪口に支配される必要はないし、悪口をもって応酬しようとする必要もないのです。
これらは建前や理想論ではなく、現実的な言葉です。自分を冷静に見たら、「自分だけは悪をもって報いる権利、侮辱をもって報いる権利を持っている」などとは言えなくなります。むしろ、わたしたちは、まことに不完全な罪人であるのに神様は赦してくださり、祝福してくださる。自分に注がれている神様の恵みは、当然ではないことを知るならば、「あの人」も神様に創られ愛されている人として祝福を祈るのです。「祝福を祈る」ということは相手がうまくいきますようにと願うことではなく、その人に「神様の最善が為されることを祈り求めること」です。相手を嫌いなままでも良いのです。また、「最善」には、必要ならば神様がその人を厳しく諭してくださることをも含むのです。
起こってしまった出来事を変えることはできませんが、悪や侮辱に対してどう対応するかは選び取ることができます。「悪をもって悪に報いず」。そこに「幸せな日々を過ご」す道があります。
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前 奏 − 愛するイエス − ブラームス
招 詞 哀歌 第3章22−24節
賛 美 21−83
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第19編
賛 美 21−445
分かち合い
賛 美 − ゆるすためです − ジュニア聖歌隊
聖 書 ペトロの手紙T 第3章8−12節 (新共同訳新約 431頁)
祈 祷
黙 想 − メディテーション − Satkz
説 教 「悪をもって悪に報いず」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−566
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−90(1,4節)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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