主日礼拝
5月29日(日) 午前10時30分より
説 教:「新しく生まれる」
聖 書:ヨハネによる福音書3章1-17節
説教者:小野慈美牧師
1)新しく生まれることは、神中心の生き方に変えられること。
ニコデモは現在の自分の生活に何を加えれば、より良い生き方になるのかという問いをもって主イエスを訪ねました。しかし、主イエスが与えようとしておられることは全く次元の異なるものでした。
自分にとってためになるものを吸収しようという態度は、一般的には誠実な態度ですが、あくまでも自分が中心です。それに対して、「新たに生まれ」(ヨハネ3:3)ることは、自分を神に明け渡して神のご支配と導きに委ねるという根本的な方向転換です。「神様わたしのために〇〇をしてください」という自己中心的な態度から、「あなたのお言葉に従う者とさせてください」という態度に変わることです。
2)新しく生まれることは、十字架を見上げる者となること。
イスラエルの民がエジプトを出て荒れ野を旅しているとき、人々は神とモーセに不満をぶつけました。それに対し、神は蛇を送り、蛇にかまれた多くの人が死にました。民が罪を悔い改めたとき、神はモーセに命じて青銅の蛇を造らせ、蛇にかまれた者が青銅の蛇を仰ぐと命を得るようにされました(民数21:4-9)。その事と結び付けて主イエスは言われました。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:14-15)。「人の子(イエスご自身のこと)も上げられねばならない」とは十字架をさしています。わたしたちが孤独感や絶望感に陥るとき、気分が落ち込み自信がなくなるとき、罪の呵責にさいなまれるとき、霊の言葉は語り掛けます。「十字架を仰ぎ見よ」と。“たとえ、過去にどのようなことがあったとしても、わたしには主イエスの十字架がある。十字架によって示された神の愛、罪の赦しを信じよう。”それが新しく生まれるということです。
3)新しく生まれることは、霊を呼吸し続けること。(ギリシャ語の「プニューマ」は、霊、息、風と訳せます。)
「霊から生まれた者」(3:8)は、バプテスマの時だけでなく、その時その時与えられた状況の中で聖霊の息吹を受けることを求めます。絶えず聖書の言葉を聞き、新たな導きを求めて歩んでいきましょう。
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前 奏 − 来たれ、聖霊よ − J.G.ヴァルター
招 詞 エゼキエル書 第36章26節
賛 美 21−345
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第84編
賛 美 − 新しい天と地を見たとき − 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21−57
聖 書 ヨハネによる福音書 第3章1−17節 (新共同訳新約 167頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「新しく生まれる」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−475(1,2,4節)
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−346(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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