主日礼拝
6月19日(日) 午前10時30分より
説 教:「良くなりたいか」
聖 書:ヨハネによる福音書5章1-18節
説教者:小野慈美牧師
「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(4:3)。その理由が末尾に書かれています(新共同訳p.212ヨハネ5:3b-4)。「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」
そこに38年も病気で苦しんでいる人がいました。主イエスはその人の状況を知った上で、「良くなりたいか」と妙な質問をしました。彼は「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」(7)と言い訳をしています。
主イエスの問いは彼を新しく生きさせるために必要な言葉でした。彼は、現状に慣れてしまって「自分はどうせこのまま何の変化も起こらず、死んでいくのだ。それは仕方がないのだ」と治りたいという意思を失ってしまっていたのです。そこで、主は「あなたは本当に変わりたいと思っているのか」と呼びかけておられるのです。それは言い訳の人生をやめようという招きでもあります。その生き方が変わらなければ、仮に病気が治っても、新たな困難が生まれてくるたびに自分の現状を嘆いては、再び言い訳の生活を始めることになる。さらには無意識に神に対して「自分がこうなのはあなたのせいです」と責任転嫁をすることになる。これこそが罪です。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8)とは、言い訳をする生き方から決別しようという促しです。
わたしたちも「自分が今こうなっているのは親のせいだ、境遇のせいだ、〇〇のせいだ」という言い訳をしたくなります。確かにそのような事実はあったかもしれない。しかし「だから、自分がこうなってしまうのは当然だ」というのが唯一の結論ではないのです。過去の影響は受けるけれども、過去に束縛される必要はないのです。あなたは「床」に縛られるのではなく、「床」を担いで新しく歩くことができる。過去に引きずられて、言い訳を続けるのではなく、過去の憎しみや恨みに自分が支配される生き方から決別する道、主イエス・キリストと共に歩む新しい道を選ぶことができるのです。
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前 奏 − プレリュード − J.S.バッハ
招 詞 ローマの信徒への手紙 第12章2−3節
賛 美 21−17
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第47編
賛 美 − 燃え立つ言葉も − ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21−363
聖 書 ヨハネによる福音書 第5章1−18節 (新共同訳新約 171頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「良くなりたいか」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−546
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−28
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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