主日礼拝
7月10日(日) 午前10時30分より
説 教:「わたしだ、恐れることはない」
聖 書:ヨハネによる福音書6章16-21節
説教者:小野慈美牧師
@ヨハネ6:17では、単に「舟に乗り」とだけ書いてありますが、マルコ6:45では、「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ」とあります。強いて船に乗せられたのに、逆風が吹き方向がずれていく。主イエスに促されてやったことなのに、あたかも神様ご自身がそれを妨げておられるかのように思われることがあります。しかも、方向がずれてしまったのだから、行く先には主イエスはおられない。彼らが「イエスが舟に近づいて来られるのを見て恐れた」(19)のは、逆風の中に主イエスが共にいてくださることを全く期待していなかったからです。だから、それが誰だかわからず恐れたのです。
A20節の「わたしだ」(「エゴー・エイミ」I am.)という主イエスの言葉は、「わたしはいるよ」とも訳すことができます。このことばは、旧約聖書でモーセが神様に御名前を尋ねたとき、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エ3:14)つまり、「わたしこそ、存在の根源だ」と言われたことばに通ずるものです。言い換えると、わたしは神であるという宣言なのです。ヨハネ福音書は、AD80年以降に書かれました。舟はしばしば教会を示します。一世紀後半の迫害の嵐の中で揺れ動く小舟のような初代教会の人たちにとって、この言葉は大きな励まし、支えとなったに違いありません。
B弟子たちと同じように、心が鈍く、逆風の中ではイエスは共にいてくださらないのだと思い込んでしまう私たちです。そういう私たちにも、主イエスは「私だ。ここにいるよ」と呼び掛けていてくださいます。きょうの個所から知ることは、わたしたちの期待してもいないようなところにも、「エゴー・エイミ」と宣言して、その言葉通りのお方が来てくださるということです。あなたの生きるところいかなる場所も、エゴー・エイミの主がおられる。だから、「恐れることはない」と言われるのです。
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8:32)。この神が私たちを見捨てることはありません。逆風の中にも主は共におられるのです。十字架はそのことを指し示しています。
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前 奏 − ガリラヤの風かおる丘で − 蒔田尚昊
招 詞 詩編 第121編1−2節
賛 美 21−352
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第96編
賛 美 − 私はぶどうの木 − 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21−549
聖 書 ヨハネによる福音書 第6章16−21節 (新共同訳新約 174頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「わたしだ、恐れることはない」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−462
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−55(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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