主日礼拝
7月24日(日) 午前10時30分より
説 教:「真理とは何か」
聖 書:ヨハネによる福音書8章31-38節
説教者:小野慈美牧師
「真理はあなたたちを自由にする」(32)。この言葉は、聖書の文脈から切り離されて、一般的には「人は真理を知ることによって無知ゆえのさまざまな束縛(偏見、迷信)から自由にされる」という意味で理解され用いられています。しかし、主イエスが語られた聖書本来の意味は違います。
1)罪からの自由:「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」(34)との関連から、ここで言われている「自由」とは「罪の奴隷」からの自由です。罪とは自己中心であり、自己絶対化です。自分だけを正しいとして、結果的に自分を神の位置に置くことです。自我の奴隷状態がすなわち罪の奴隷状態です。主イエスのユダヤ人たちに対する「あなたたちは父から聞いたことを行っている」(38)という言葉は、「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている」(44)という言葉と合わせて読むと、「あなたたちは父(悪魔)から聞いたことを行っている。つまり悪魔の欲望である自己中心性・自己絶対化という罪の中にいる」ということを意味しています。
私たちも気づかずにこの罪に陥ります。だから、「間違っていたら導いてください。自分の気づかない罪に気づかせてください」という祈りが不可欠なのです。そのような祈り心を持ちながら、主イエスの言葉に従うところに自由があります。本当の自由とは、自分の間違い、過ちを素直に認めることができるということ。そして、悔い改めて方向転換ができるということです。
2)人格的真理:「真理」は、イエス・キリストご自身を指しています。つまり「イエス・キリスト(真理)があなたたちを自由にする」ということであり、この真理は人格的真理です。「わたしの言葉にとどまる」(31)とは、主イエスの言葉をただ教えとして受け止めるということではなく、自分に対する生きた語りかけとして聞き、そのことばに自分を預けていくことです。それはわたしたちが他の何かの奴隷となることから守られるためです。主イエスの言葉はどのような言葉であれ、わたしたちへの愛から出ています。ですから安心して自分を預けることができます。あとは、主が責任をもって導いてくださいます。主イエスの言葉に自分を預けて生きるときわたしたちは自由になるのです。
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前 奏 − いと高きところには神にのみ栄光あれ − J.P.スヴェーリンク
招 詞 詩編 第125編1−2節
賛 美 21−363
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第75編
賛 美 − 喜びは主のうちに − 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21−549
聖 書 ヨハネによる福音書 第8章31−38節 (新共同訳新約 182頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「真理とは何か」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21−394
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−55(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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