主日礼拝・聖餐式
10月2日(日) 午前10時30分より
説 教:「建前ではない信仰」
聖 書:テモテの信徒への手紙I 5章12-22節
説教者:小野慈美牧師
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」は、目標であって、「建前」だと受けとめられることがあります。しかし、これこそ「神が望んでおられること」(5:18)です。
(1)「喜び」は「うれしさ」とは違います。苦難のときにも嬉しがりなさいということではありません。生きるときに苦難は避けえません。主イエスは「あなたがたには世で苦難がある」(ヨハネ16:33)と言われましたから、主の祈りの「試みにあわせず」は、「苦難に遭わせないでください」という意味ではありません。この「試み」とは苦難そのものではなく、苦難によってわたしたちの心を神様から引き離そうとする「誘惑」のことです。ですから「良い」と思われる事も「試み」になります。つまり、思い上がって心が神様から離れるならば、「うまくいくこと」が「試み」となるのです。苦難は確かに無いにこしたことはないけれども、苦難はバチではない。苦難のときにも神様はあなたを愛しておられることを忘れないでいなさいということが「喜んでいなさい。感謝しなさい」の意味することです。
(2)「苦しいときの神頼み」は、自分勝手なご利益信仰の意味で使われます。しかし、「神も仏もあるものか」と言いたくなる「苦しいときの神離れ」も問題です。危機の「機」は「チャンス」をも意味します。苦難はつらいことですが、神様とのつながりを強めるチャンスともなるのです。八方ふさがりのときにも、天の窓はふさがれることはありません。ある人が「人に言うと愚痴になることも、神様に言うと祈りになる」と言いました。詩88編は、すべて否定的な内容ですが、祈りの言葉として残されています。そうであれば「絶えず祈る」ことは建前ではなくなります。神様の胸を叩きながら「神様のバカ!」と言ってよいのです。
(3)不条理なことに出会う時、そこにこそ主イエスは来てくださり理解してくださいます。主イエスはこの世で最も大きな不条理である十字架を経験されたからです。「いつも喜ぶ。絶えず祈る。どんなことにも感謝する」。これらは「キリスト・イエスにおいて」(18)初めて可能となります。これは冷たい命令ではなく、「わたしが共にいるから、きっとできるよ」という主イエスの励ましの言葉です。
※礼拝視聴にはパスワードが必要となります。お申し込みは こちら
画面内のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
Tweet
前 奏 - 来たれ聖霊、主なる神よ - M.ヴェックマン
招 詞 詩編 第135編1-3節
賛 美 21-59
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第93編
賛 美 - 主が受け入れてくださるから - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-542
聖 書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 第5章12-22節 (新共同訳新約 378頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「建前ではない信仰」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-475
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-80
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-88(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
<協力団体を覚える月間>
日本バプテスト同盟では、10月を「協力団体を覚える月間」と定めています。同盟の協力団体は学校や保育園、社会福祉の働き、公益法人の働きと様々です。全国に建てられている諸団体の働きを覚えて、特にキリスト教教育の業がさらに強められていくように、祈りを合わせましょう。
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979