主日礼拝(特別伝道礼拝)
10月30日(日) 午前10時30分より
説 教:「試みにたじろぐ者となる」
聖 書:ルカによる福音書4章1-4節、2章40-46節
説教者:並木浩一先生(関東学院中高出身、国際基督教大学名誉教授)
(序)「試みにたじろぐ」とは、信仰者らしくないのでしょうか。イエスが召命を受けた直後に受けた試みについて学びましょう。
(1)ルカ4:1−4イエスはヨルダン川から戻ると、すぐに悪魔(サタン)から「誘惑」を受けました。その直前に「荒れ野を“霊”によって引き回された」のです。バプテスマを受けたイエスに豊かな聖霊が下り、使命感に満たされていたからこそ、ご自身の充実した霊がイエスを祈りの場所である荒れ野に連れ出してイエスの召命感を揺さぶったのです。サタンが姿を隠したままイエスを攻撃します。イエスは「たじろぎ」ました。サタンは疲れ果てたイエスに、「経済のメシア」になることを囁きました。イエスは民衆の喝采を浴びるでしょう。しかしそうなると、この世の欲望と対立する「悔い改め」の呼びかけと「神の国」の宣教はできないでしょう。「経済第一主義」は偽りの「神の国」に私たちを引き込む魔力を持っています。これは今日的な問題です。イエスは申命記の御言葉によって、サタンを退けました。それに続く二つの誘惑も、同じ申命記の御言葉によって退けました。
(2)ルカ22:31−46 十字架を決意していたイエスも、その時が目前に迫ると、父なる神から見放されることが神の真意であるかどうか分からなくなり苦しみ悶えて神に祈りました。弟子たちは自分たちの今後が心配で疲れ果て寝入りました。イエスが危機に直面しても彼らはたじろがなかったのです。
(3)創世記4:5−7 人が危険な誘惑に直面しているのにそれを直視しないのは、人類の最初からです。カインは自分を抜いて幸せになったアベルを亡き者にして、神に見放された苦しみから解放されたいと願いました。「顔を上げてわたしに向き合え」との神の呼びかけを無視して行動し、「悪」に捕らわれました。
(結び)人は自分の力で「誘惑」に打ち勝てません。人は誘惑には負けるのです。誘惑に遭ったとき、人はたじろぎ、御言葉に聞き従うことのほか、誘惑に対抗する手段はありません。「我らを試みに遭わせず悪より救い給え」とは、試みにたじろぐ者の祈りです。この祈りを祈りつつ人生を歩みましょう。
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前 奏 - 神は わが砦 - ヴァルター
招 詞 詩編46編2-4節
賛 美 21-57
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
交 読 文 交読詩編 第46編
賛 美 - 慈しみがありますように - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-463
聖 書 創世記4章6節 (新共同訳旧約 5頁)
「主はカインに言われた。『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか』」
ルカによる福音書 第4章1-4節 (新共同訳新約 107頁)
ルカによる福音書 第22章40-46節 (新共同訳新約 155頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「試みにたじろぐ者となる」 並木 浩一 先生
祈 祷
賛 美 21-530
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-25
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
[並木先生プロフィール] 1935年に横浜市中区に生まれる。関東学院高校(三春台)を卒業。国際基督教大学(ICU)人文科学科を卒業。東京教育大学文学部大学院博士課程(倫理学)を中退。1964年に母校の助手となり、人文科学科教授、比較文化研究科教授を勤め、2006年に退職。旧約学を中心に幅広い分野を講じる。
関東学院高校時代に横浜ナザレン教会で受洗し、以後幾つかの教会を経て1970代末より国際基督教大学教会(単立)に所属。
〒221-0804
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