主日礼拝・聖餐式
1月8日(日) 午前10時30分より
説 教:「救いを見た」
聖 書:ルカによる福音書2章22-38節
説教者:小野慈美牧師
「モーセの律法に定められた(レビ12:2以下)彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った」(22)。主イエスの一家が神殿に行ったとき、そこにシメオンとアンナがいました。
①シメオン:「神はお聞きになった」の意。彼は「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けてい」(26)ました。まさに、シメオンの祈りを神がお聞きになりました。その日、「 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき」、そして、マリアに抱かれた幼子を見たとき、それがメシアであることがわかったのです。そして宣言します。「わたしはこの目であなたの救いを見た」(30)と。
②アンナ(=ハンナ):「恵み」の意。彼女は若くして未亡人になりました。それは経済的にも社会的にもかなり厳しいことでした。しかし、彼女は神の恵みを信じて淡々と生きていました。「彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」(37-38)。
二人は、決して劇的な奇跡を見たのではありません。見たのは他の子と何ら変わらない一人の幼子です。しかし、絶えず祈り、神との交わりの中にいたので「そのこと」が起こった時、神様からの導きだとわかったのです。淡々と信仰を保っていくことの尊さがここにあります。
神様はわたしたちに近くいてくださいます。その神との交わりが祈りです。「祈りの人」であるということは、決して優れた人なのではありません。むしろ、自分の弱さ、限界を知るからこそ、祈らざるを得ないのです。その時、日常生活の小さな出来事の中に神の救いを見ることができるのです。
この日、エルサレムの神殿にいた多くの人々がこの幼子を見ました。何の変哲もない普通の赤ちゃんです。人々は見過ごしたのですが、シメオンとアンナは一人の幼子という存在に神様の救いのみわざを見たのです。同じようにあなたも神様の霊に導かれて、神様の「救いを見る」ことができます。
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前 奏 - あかつきの空の美しい星よ - Satkz
招 詞 詩編 第96編1-2節
賛 美 21-18 「心を高く上げよ!」
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第2編
賛 美 - しもべらよ、み声きけ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-401(1,2,3節) しもべらよ、み声きけ
聖 書 ルカによる福音書 第2章22-38節 (新共同訳新約 103頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「救いを見た」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-464 ほめたたえよう
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-81 主の食卓を囲み
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-391(2,4節)(アーメン) キリストよ、救いの神
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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