主日礼拝
1月15日(日) 午前10時30分より
説 教:「神の家にとどまる」
聖 書:ルカによる福音書2章39-52節
説教者:小野慈美牧師
この聖書箇所は少年期の主イエスを伝える唯一の出来事を記しています。両親はイエスが迷子になったと思い必死に探した結果、エルサレムの神殿で大人たちと議論をしているイエスを見つけました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(48)というマリアの言葉に対し、イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(49)と答えました。
幼児期の主イエスには、自分が特別だという意識はなかったでしょう。しかし神殿で数日を過ごす中で、ご自分が誰であるのかを自覚したのです。自分は、ヨセフとマリアの子として育ってきたが、実は自分の父は神ご自身なのだと。しかし、その後今までと違った生活を始めたのではありません。
「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。」(51)
確かにメシアとしての自覚が芽生えましたが、今まで通り、ヨセフとマリアの子としての務めを忠実に果たしました。30歳で、神の国の福音を宣べ伝え始めるまで、18年間一人の生活者として生き、同時にメシアの自覚を持つ者として聖書の言葉を聞き続けました。18年間何もしなかったのではなく日々備えをしていたのです。
「わたしたちの国籍は天にある」(フィリピ3:20口語訳)という言葉は、信仰者がこの世を否定して生きることを意味しません。天とは、神様の支配するところという意味ですから、国籍を天に持つということは、この世においてこそ、神様のご支配の中で生きるということです。ですからわたしたちが日曜日に礼拝をするのは、神との無関係な日常生活からしばし離れて、聖なることがらに関わるというのではありません。むしろ、この礼拝の場で自分が何者であるかを確認し、「父の家」に住む者とされたのだということを知って、「ただ神の栄光のために」(Soli Deo Gloria)という心をもって日常の生活に遣わされていくのです。「主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまる」(詩23:6)のです。
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前 奏 - シメオンの賛歌 - J.S.Bach
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賛 美 21-6 つくりぬしを賛美します
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第40編1-12節
賛 美 - イエスきみはいとうるわし - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-401(1,2,3節) しもべらよ、み声きけ
聖 書 ルカによる福音書 第2章39-52節 (新共同訳新約 104頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神の家にとどまる」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-289 みどりもふかき
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-391(3,4節)(アーメン) キリストよ、救いの神
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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