主日礼拝
1月29日(日) 午前10時30分より
説 教:「助けはどこから」
聖 書:詩編121編
説教者:小野慈美牧師
詩121編は巡礼の歌です。聖地エルサレムに向かって旅をする途上、困難な「山々」(1)を越えていかねばなりません。それは野獣と盗賊の待ち構えている「山々」であって、旅をすることは文字通り“命がけ”でした。わたしたちの人生も旅に例えられ、神の創られた「天地」(被造世界)を歩んでいきます。ところが、その神の創られた世界でありながら、「山々」に象徴される災いや困難、さらには不条理としか言いようのないことが起こります。そのようなときに人は「神様、どうして?」と問いたくなりますが明確な答えは見つかりません。しかし、主イエスの存在と生涯は、不条理そのものの直接の解決ではありませんが、わたしたちの信じる神がどのようなお方であるかを指し示しています。
その神は創造者でありながら、同時に独り子としてこの被造世界に来られ、被造物である人間としての痛みも苦しみも味わわれました。そして、最大の不条理である十字架の死を遂げられたのです。つまり、ご自分だけが安全なところにいて人間の痛みや苦しみを傍観しておられる神ではないのです。
まさにわたしたちの神は痛みを知っていてくだる神です。十字架はそのような神の心が出来事として起こったことです。創造主である神が、同時に十字架の愛の神です。その神が「天地を作られた主」である以上、この世界はわけのわからぬ運命のような力に操られているのではないことをわたしたちは信じることができます。ですから、「わたしの助けはどこから来るのか」(1)という問いに対し、わたしたちもまた詩篇作者と共に「天地を造られた主(・十字架の主)のもとから」(2)と告白することができます。たとえ、自分が生きている被造世界において、痛みや苦しみがあっても、なおヤハウェの神は信頼すべきお方なのだと。
そして、「イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない」(4)と約束してくださっています。たとえ、わたしたちが神のことを忘れることがあっても、神の側ではひとときもわたしたちをお忘れになることなく、愛することをおやめにならないのです。
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前 奏 - 主なるキリストよ我らにみ心をかけたまえ - J.S.バッハ
招 詞 箴言 第3章5-6節
賛 美 21-17 聖なる主の美しさと
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第124編
賛 美 - やわらかく大切に - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-401(1,2,3節) しもべらよ、み声きけ
聖 書 詩編 第121編1-8節 (新共同訳旧約 968頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「助けはどこから」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-155 山べにむかいて
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-401(4節)(アーメン) しもべらよ、み声きけ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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