主日礼拝(受難節第5主日)・聖餐式
4月2日(日) 午前10時30分より
説 教:「十字架につけろ」
聖 書:ルカによる福音書23章1-5,13-25節
説教者:小野慈美牧師
当時のユダヤ人指導者たちは、イエスの言動が自分たちの権威や立場を危うくするものであったので、彼を無き者にしようとしました。イエスを政治的反逆者にでっちあげて、死刑にすることをもくろみました。そして、情報操作をし民衆を誘導しました。民衆は、イエスが自分たちの期待にこたえてくれなかったので怒りを持ち、それがメディア・リテラシー(「情報を評価・識別する能力」「情報をクリティカル(批判的)に読み取ること」)を失わせ、うその情報に踊らされてしまったのです。彼らはイエスをローマ総督ピラトに偽りの情報で訴えました。ピラトは、イエスがローマに敵対する政治的解放者としての「メシア」ではないことを知り、三回、主イエスの無罪を主張しました。(4,14-15,22節)。
しかし、人々は「十字架につけろ」と叫びました(22)。怒りそのものが悪いとは言えませんが、怒りの感情は、しばしば判断を狂わせます。しかも怒っている時は、正義は我にありという思いが強いので、自己正当化する理由だけに執着し自分の判断を冷静に見直すことがますます困難になるのです。
思い通りにならないときの「思い」、期待を裏切られたというときの「期待」。これらが正しいのかどうかを考えずに、怒ったり、落胆するのは、結局、自分の思いこそが正義だという傲慢の裏返しです。自分の怒りが解消して気が済むことを「正義」という言葉で置き換え、主張します。本当の意味でのメディア・リテラシーは、実は自分の判断を批判的に検証できることなのです。
人々が(そして、わたしたちが)自分の思いに固執して怒り「十字架につけろ」と叫んでいるときに、主イエスは、人々の愚かさ、自分勝手さにじっと耐えて、彼らが気づくことを待っていてくださいます。悔い改めとは、自分の愚かさ、自分勝手さに気づくことです。そして「気づいたときには、遅かった」のではなく、「気づいたときには、それがすでに赦されていた」ことを知って、さらに驚くのです。
“Amazing Grace”(驚くばかりの恵み)とはそのような恵みです。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマ5:8)。
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前 奏 - イエスが十字架につけられたとき - J.S.Bach
招 詞 イザヤ書 第48章17-19節
賛 美 21-314(1,2,5節) 神の国の命の木よ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第111編
賛 美 - ひとり負いぬ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-297 栄えの主イェスの
聖 書 ルカによる福音書 第23章1-5節、13-25節(新共同訳新約 157頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「十字架につけろ」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-301(1,3節) 深い傷と流れる血に
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-81(1,3節) 主の食卓を囲み
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-92(1,3節)(アーメン) 主よ、わたしたちの主よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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